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ボウイ、マドンナの(プロデューサー)ナイル・ロジャース 26年ぶりのシック新作について



ナイル・ロジャースなくして、この半世紀のポップミュージックシーンを語ることはできない。

現在65歳のスーパー・プロデューサー、ナイル・ロジャーズは、ダイアナ・ロス、デヴィッド・ボウイ、グレイス・ジョーンズ、マドンナ、デュラン・デュラン、ダフト・パンクなど、後世に大きな影響を与えるアルバムを世に送り出し、ソングライター、ギタリストとしてだけではなく、コラボレーターとしても名を馳せ、40年以上に渡り自身のバンド、シックを率いて、ダンスフロアを湧かせ続けてきた。

最後のスタジオ・アルバムがリリースされてから実に26年、1970年代に一斉を風靡したシックが、今年ニューアルバム”It's About Time”で再び動き出す。ロンドン公演を控えた先月、ロジャーズは、エンターテイメント・ウィークリーの取材に応じ、名声、長年に渡る成功の秘訣、ヒット・ソングのサウンド作りについて語った。

Q:シックの前作品となるアルバムは、1992年にリリースされました。2018年にアルバムをリリースすることになった経緯を教えださい。

A:僕にとってアルバムは映画と同じように、起承転結があるものなんだ。イントロから始まってエンディングがあるようにね。 今作もそうだけど、すべてのシックのアルバムは、「ビッグ・スターのオープニングを務める新人バンド」という基本的なコンセプトがあるんだよ。 だから、曲中で自己紹介をするんだ。「Gimme a C! We are Chic、C-H-I-C!」 という具合に。(笑)

別に自分がスターになりたいから曲を書いているわけじゃないだ。 僕が音楽を作るのは、みんなをハッピーにしたいから。 キャリアのスタートからさまざまなミュージシャンと仕事する機会に恵まれたから、今回のアルバムは、第一弾シングルとしてリリース予定だった”I’ll be There”から取りかかった。というのも、この曲には、過去にシックの曲を歌ってくれたみんなの声を重ねてあるんだ。こんなことが出来るのも、機材が進歩したおかげだね。ルーサー・ヴァンドロスをはじめ、多くのビッグ・ネームたちがクレジットにその名を連ねているよ。 続けてアルバムのリリースを、と考えていたんだけど、そのタイミングで ボウイが亡くなって、ただただ愕然としたよ。だって、元々ボウイとプリンスに捧げるつもりだったから。「ああ、彼の死をネタに曲を書いたなんてみんなに思われるのはごめんだ」と思った。でもアルバムからその曲だけを外すなんて、その時の僕にはできなかった。だってそれって映画に必要なワンシーンを省いてしまうのと同じことだから。

そんなこともあって、自分にとって本当に大事なものは何なのか、考え始めたんだ。

癌だと診断された後、僕は人生の中でより多くの曲を書いて、より多くのコラボレーションをしようと決めた。シックとしても、今までにないくらいギグをやっているし、盛り上がりという点では今が一番だと言える。共作の数だって今が一番多いからね。それが新しい方向性を生み出したし、僕はその事実を誇りに思っているんだよ。これが今の僕の音楽との向き合い方。だから台無しにはできない。生きているんだから、自分のできることをやるだけさ(笑)

Q:デビッド・ボウイと一緒に作業していて最も驚いたのは何ですか?

A:僕たちが顔合わせしたとき、彼は僕に言ったんだ、 「ヒット作を作って欲しいんだ!」って。

僕はこう答えたんだ、 「へっ?”Scary Monsters”(Bowieのアルバム名)の成功をおさめたばかりなのに、僕とヒット曲を作りたいの? デビッド、ヒット続きで僕はヘトヘトだよ(笑) だから敢えてフロップ(駄作)を作りたい!逆に、「知る人ぞ知るマニア受けするクールなプロデューサーだ!」って言ってもらえるようにね。」

正直、売れる売れないには全く興味がなかった。ダイアナ・ロスのダイアナ[1980年の大作アルバム]を手がけた以降は、ヒット・レコードを作る必要はなかった。 財政的には満たされていたし。当時の僕は、“Disco Sucks”(ディスコはうんざり)という風潮も手伝って、ダンス・レコードやヒット・レコードのプロデューサーとしてではなく、純粋に「プロデューサー」として認知されたい欲求の方が強かったんだ。だって僕が手がけてヒットすれば、すべて「ディスコ」の一括りにされてばかりだったから。 [ダイアナ・ロスの] "I'm Coming Out"なんて、全くディスコレコードじゃないのに!あれなんて最高にアバンギャルドでビバップファンファーレ的なレコードだよ。

“Let’s Dance”をリリースした何年も後に、ボウイは僕にこう言ってくれた。「”Let’s Dance”はデヴィッド・ボウイが歌う、ナイル・ロジャーズのアルバムそのものだ」ってね。一番の褒め言葉だったよ。

Q:ニューアルバムの "I Want Your Love”にレディー・ガガを起用した経緯を教えてください。

A:ガガと僕はある晩パーティーで出会ったんだ。すぐに意気投合したよ。もう一瞬で恋に落ちたって感じだね。ボウイが亡くなったとき、彼女は僕に電話をくれて、グラミーでボウイのトリュビュートをすることになったんだ。 彼女は40曲ほど候補を挙げてきたから、「待って待って!持ち時間は8分だけだよ!」って言ったんだ(笑)

結果、すごく上手くいったよ。 イイものにしたいっていう共通の想いがあったからこそだね。

Q:あなたはエルトン・ジョンとジャネル・モネイを "Queen”に起用しましたね。あなたはジャングルの大ファンですか?

A:彼女は素晴らしい。興味深い話をする娘だし、パフォーマンスもやりきってるよね。 最近希に見る本物のスターだ。 薄いタマネギの皮みたいに、すぐに化けの皮が剥がれちゃう人が多いけど、 ジャネルは本物だよ。

Q:数々のスーパースターと仕事をする中で、あまり知られていないアーティストとも仕事をされていますよね?

敢えて無名のアーティストと作業することに重きを置いているのでしょうか?

A:関わった作品の多くが、日の目を見ずに終わったことを認めるのに、なんの抵抗もないよ。ただ真剣に取り組んで、多くの作品を手がけているから、その大半がヒットしているように思われがちだけど。 僕は常に開拓精神を持って取り組んでいるんだ。ただどんなときでも、必ず聴き手が付いてきてくれるとは限らないってことだよね。

Q:しかし、関わったアーティストがヒットを飛ばせば、大きく飛躍していますよね。

あなたには才能を見抜くノストラダムスのような特別なセンスがあるのでしょうか?

A:そんなことないよ! 僕は関わるアーティストを好きになるのが得意なだけだなんだ。僕自身、好みの振り幅が大きいから、興味を引くような、多様なスタイルを持つアーティストを作ろうと心がけているんだよ。マドンナを例に出して言うと、 初めて彼女に会ったときは困惑したけど、 二度目に会ったときには、もうゾッコンだった。だから、一度目の「え?」から、二度目には 「マジで最高の女(”F___ing“ greatest “S___”)」になってたよ(笑)

マドンナと僕がマディソン・スクエア・ガーデンの真ん中に座っている有名な写真があるんだけど、当時は誰にも気付かれなかったし、彼女と写真を撮ろうとする人なんていなかった。 それから2~3ヶ月もしたら、誰もが彼女の写真を撮っていて、その頃にはもう彼女がマディソン・スクエア・ガーデンの真ん中に座るなんてできなくなっていた。それはもう、あっという間だったよ。MTVアワードを見た誰もが、「Who’s that girl?”(あの娘は誰?)」と彼女にハマってね。以降、彼女とパブへ行ったり、一緒にいるだけで「who’s that girl?, who’s that girl?」の連発だった。

Q:その後、彼女は「Who's That Girl」という映画を作りましたが…

あなたは今、断って後悔しているプロジェクトはありますか?

A:ああ、たくさんある。 最も後悔しているのは、マイルス・デイビスとのこと。

僕らはある時期、お隣さんだったんだ。一緒に出かけたりしたよ。

彼は、時に他人に冷酷な態度を取ることで有名だったけど、決して僕にそんな態度をとったりしなかった。 彼は素晴らしい人だったよ。僕らはとても良い時間を過ごした。プリンス、マイルス、マドンナ。気難しいことで知られているどのアーティストも、僕と一緒にいる時は、今の君と僕となんら変わらず、リラックスしていたよ。

Q:偉大なアーティストたちが残した功績が、一般的に「懐古趣味(nostalgia)」とレッテルを貼られることについてどう思いますか?

A:僕と共に古き良きシックのアルバムを創りあげた仲間の大半は、この20年程のうちに亡くなってしまったんだ。また、ファンが新しい音楽を必ずしも望んでいるわけじゃないって感じているよ。当時の音楽を聴くことで、また若かりし頃に戻りたいんだ。19歳や20歳で初めてU2を聴いて、ボノがステージ場の足場を登るパフォーマンスに興奮したあの頃に。わかるかな?

当時はみんな、子供はおろか仕事も持たない学生で、社会に対する責任も持ち合わせていなかった。音楽がそんな時代にタイムスリップさせてくれるかのように感じるんだね。それは物理的には不可能でも、気持ちの面では可能だし、僕は音楽でその手助けができるように心がけているよ。とにかく今みんながいる場所から、望む場所へと音楽で連れていってあげたいんだ。

Q:過去のヒット曲をやりたがらないアーティストもいれば、昔のヒットを大切にするアーティストもいますね。 あなたはどちらですか?

A:ヒットがあることは嬉しいことだよ、もちろん! 作曲家にとって最高のご褒美は、自分の音楽が認知されること。 非常に孤独な作業だからね。たったひとりで何か作る作業を想像してみて。そしてステージに立つと、10万人が一斉に歌い出すところを。「おー!無駄じゃなかった!」って感動するよね(笑)

僕の楽曲の多くは、僕がこの世を去った後もずっと生き続けるって確信しているよ。特に[Sister Sledgeの] "We Are Family"なんかはね。

Q:シックは文字通り「グッド・タイムズ」バンドですよね。 苦しい時こそ明るい音楽を作る必要性を感じますか?

A:まさにそうだね。実際に[Daft Punkの] ” Get Lucky” を制作していたとき、「ストレスを感じている中で、偉大なアーティストは何をすべきか」と、しょっちゅう問いかけていたよ。マイナス面に焦点を当てるアーティストもいるけど、クールなアーティストの大半は、暗い世の中の現状ではなく、彼らの思い描く良い世の中のイメージを曲にしているよ。

だからこそ、2018年になった世界の現状に、がっかりしている自分がいるんだ。 え、マジでこんなに後退しちゃったの?って。だって、心は程よく満たされて、イイ気分で夕日をバックにスキップしちゃうくらいのユトリある前向きな世の中になっててもおかしくないはずだろ?それが、まさか難民問題や、あらゆるものへのアンチな精神がこんなにはびこるなんて、想像もしてなかった。

Q:最後に一つ質問です。2度癌と戦い、今あなたの健康状態はいかがですか?

A:調子はいい。最高だよ! (笑)うん、元気だよ。


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