top of page
  • nilejapan

ナイル・ロジャース、あなたにとってどんな10年でしたか?


【あなたにとってこの10年】

このシリーズでは、この10年で最も革新的なミュージシャンが音楽やカルチャー、それに彼らのこの10年を形作った思い出について、私たちの質問に答えてくれています。これらの記事は(2019年)12月に公開する予定です。

40年以上に渡り、ナイル・ロジャースは利益を生み出すヒットメイカーのひとりであるということを証明し続けています。1970年代にはシックを生み出した立役者のひとりでしたし、さらにシスター・スレッジのヒットアルバム制作にも貢献しました。80年代は、彼はダイアナ・ロス、マドンナ、デビッド・ボウイらと歴史的名盤となるようなレコードを作りました。さらに次々とアルバムを制作していきました。

2010年も彼の活躍ぶりは変わりませんでした。ナイル・ロジャースはダフト・パンクの記念碑的なアルバムとなった「ランダム・アクセス・メモリーズ(2013年)」に貢献し、これによりグラミー賞を獲得しました。そして絶え間なくツアーを行い、さらにはエルトン・ジョンやレディ・ガガ、他にもアーティストが多数参加したシックのオリジナル・アルバム(「イッツ・アバウト・タイム」(2018年)を世に送り出しました。彼はまた、ロックの殿堂入りも果たし、様々なアーティストのプロデュースも行っています。その間、二度に渡るガンとの闘病にも打ち克ってきました。ナイル・ロジャースは今、彼のライフストーリーの舞台化の企画を練り上げているところです。

ここに2010年代の10年間について、彼が語るべき言葉があります。


【2010年代で一番気に入っているアルバム】

それはダフト・パンクの「ランダム・アクセス・メモリーズ」だね。明確な理由があるんだ(笑)。このレベルでのヒットは誰にとっても驚きだった。そして本当に素晴らしいことだ。僕のキャリアを通して僕が関わったほとんどのヒット・レコードはビッグ・サプライズなんだ。僕は流れに逆らってずっと人生を泳いできたからね。いくつかのグラミーを手にしたあの夜でさえ、僕はファレルに今回も受賞を逃してこう言うんだろうと思ってた。「オーケー。そんなものだよ。グラミー賞をひとつだって、僕に受賞させる気はないのさ」って。「ちょっと待ってください、ナイル!あなたは「レッツ・ダンス」でグラミーを獲ったのではないのですか?「ウィー・アー・ファミリー」でグラミー賞を受賞していなかったんですか?」ファレルはそんな風に言うから「いや、ないんだよ。僕にとってこれが初めてのグラミー賞なんだ」って答えたよ。


【2010年代でもっとも気に入ってる曲】

ダフト・パンクの「ルーズ・ユア・セルフ・トゥ・ダンス」と言わなくちゃならないだろうね(笑)。実はこの曲はギターのトリオ演奏(=ギター、ベース、ドラム)がグルーヴ全体を支えているんだ。そこにキーボートの音はない。キーボードのような唯一の音はトーマ(バンガルデル)が「カモン、カモン、カモン、カモン」と繰り返す部分だけなんだ。基本的にはトリオ・ギターのみの曲なんだよ。コンピューターとループのような世界では、どのくらいギターやベース、ドラムでグルーヴを保っていられるだろうね?どうかあの曲を今一度聴いて確かめてみてくれ。ギター・トリオで演奏してるだけってことをね。


【この10年で最もいい時間を過ごしたアーティスト】

それはリアーナだ。たくさんのヒット曲があるリアーナ、或いはきっとジャスティン・ビーバー、ビヨンセ、それかカニエ(ウエスト)のはずだよ。テイラー・スウィフトかブルーノ(マーズ)かもしれないな。彼らの中の誰かだろう。でも僕はやっぱりリアーナは彼らの中でよりヒットしたんじゃないかと思うよ、もちろん彼らは全員この10年のヒットメーカーのスーパーAリストのメンバーだけどね。


【この10年に起きた最もクレージーなこと】

僕がグラミー賞を獲得できたこと。正直に言うと、僕は今まで授賞式の会場で「そうだな、今回は(グラミー賞を)獲れるんじゃないかな」、なんて何度も思ってきた (笑)。本当のことさ。「レッツ・ダンス」(デビッド・ボウイ 1983年)は当時「スリラー」(マイケル・ジャクソン 1982年)と賞を競っていたんだ。オーケー、そうなんだ。「スリラー」のために、グラミーは諦めなくちゃいけない。分かってたけどね。でも「チャイナ・ガール」や「モダン・ラブ」(いずれもアルバム「レッツ・ダンス」に収められた曲。デビッド・ボウイとナイルの共同プロデュース)といった曲のシングル曲のどれかだったら、受賞チャンスのカテゴリーがあったかも知れない。或いはベスト・ロックンロール・アルバムあたりにね。

長年に渡ってシックの一員でいることと、「ウィー・アー・ファミリー」(1979年)やB-52‘sの曲「ラブ・シャック」や「ローム」(1989年)という曲を作り、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」、そしてダイアナ・ロスの曲といった沢山のレコードは、僕の人生をすっかり変えたんだ。それでも、グラミーは獲れなかった。あの(ダフト・パンク)とのグラミーが全く初めての受賞なんだよ。ダンス・ミュージック・アルバムが「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したこと自体が、1977年の「サタデー・ナイト・フィーバー」以来のことだった。信じられないよ。


【この10年で最も嫌だった世界の出来事】

僕にとってそれは、気が遠くなるレベルで繰り広げられる「いじめ」だね。こういったいじめを僕はずっと憎んできた。他人に同意出来なかったとしても(そういう場合は特に)僕は相手に敬意を払おうとしてきたよ。もちろん誰かと意見が異なるときは、僕の話を別の角度から見て欲しいと思うよ。彼らに話を聞いてもらうには、逆に僕がオープンな気持ちになるしかないんだけどね。これはいじめへのアンチテーゼであるべきだ。僕たちは世界により親切でより優しくなるべきだ。すでにあなたがその人と同じ考えなら、わざわざ親切になろうという必要はない。彼らが親切だろうと意地悪だろうと、自然にしていればいい。でも人が敵意に躊躇なくプールの端に深く飛び込むように他人を傷つけようとするのは、彼らが匿名だからそんなことが出来るんだ。、そのことで僕は不愉快になる。銃の暴力を考えると、直接顔を合わせずに、2ブロック離れたホテルの部屋から誰かを撃つことが出来る。それってとても非人間的だよ。そういうことのせいで、同じようなことが起きてしまう。匿名だったり顔を見せずに済むと、いじめが簡単に出来てしまうんだよ。


【この10年でお気に入りのスラング】

何年もの間長くやってきてると、僕が子供の頃に流行ったスラングが、何年後かに再び流行ったりするのを見ることになる。僕が先日ある店から出るときに、かなり若い女の子に出くわした時のことを思い出したよ。彼女は17、8歳にも満たなかったはずだ。そんな若い子が「ワオ!ちょっと!それってグルーヴィだわ(すごくかっこいい、というような意味)」なんて言ったんだ。それを聞いて僕は「待ってくれ!ほんとかよ!彼女、“グルーヴィ” だって?」って感じだった。僕が子供頃のスラングを発したその女の子は黒人だったよ。(訳注:「groovyは元々、白人男性の間で流行っていたスラング」)


【この10年で最も驚きの出会いを果たしたアーティスト仲間】

ブリット・アワード(英国のグラミー賞と称される)で出会ったハイムというバンド(カルフォルニア出身の姉妹によるポップロックバンド)との出会いだね。彼女たちはちょっとイラついた感じで僕の後ろに立っていた。僕が賞か何かもらった後だったかな。彼女たちは自分たちが僕らシックより優れたバンドなんだから、受賞は自分たちこそふさわしいのにと言い合ってた(笑)。それで僕はおもむろに彼女たちの方へ振り返り、彼女たちと話をした。結果、僕らは互いにすっかり仲良くなったというわけさ。「よく考えてみると、私たちはあなたたちのことを大好きだし、あなた達のように演奏してるんですよ」なんて彼女たちは言ってたよ(笑)。それで僕は「オーケー。そうだな、こうしよう。今度僕たちがショーをする時、その時にもし君たちも同じイベントにいたなら共演しよう。それで君たちは自分たちが僕らよりドゥープ(カッコイイ、最高、ヤバい、という意味)なバンドかどうかを判断してみてくれ。僕らシックもハイムよりドゥープかどうかってことを決めようと思うよ」と言ったら、彼女たちは「いいわね、クールだわ!」なんて言っていたね。あれから僕たちはまだハイムとそういったバンド・バトルは出来てないけれど、互いに尊敬し合ってるんだ。もし、ほかの誰かもこんなことしてるって聞いたら、それはかなりクールなことだよね。

このハイムとの出会いは僕のキャリアが始まったばかりの頃を思い出させる。僕はビー・ジーズとトイレに居合わせて、それはBMIアワードの授賞式でのことだった。僕らはシスター・スレッジの「ウィー・アー・ファミリー」(1979年)という素晴らしい曲が何曲も入ったアルバムで賞をいくつか受賞したんだ。さらにシックの「セ・シック」(邦題「エレガンス・シック」1978年)というアルバムには「ル・フリーク」と「アイ・ウォント・ユア・ラブ」という曲が入っていて、連続して賞を受賞していたんだ。それでビージーズは「あいつら一体何者なんだよ」とか言っていて、その時僕らも隣のトイレにいたのさ。確かそんな感じだった。このことはすごく奇妙なことだったと思うよ。その後、僕らは互いにすごくフレンドリーになったし、本当に素晴らしい関係になったという意味においてね。


【この10年で誰も気づいてないままの何かクールなこと】

うーん、そうだな。これはまさに僕の人生の話だ。僕のやってることの話なんだ。僕がほとんど毎日仕事をしてるってことを多くの人は知らない。ちょっとこの話は、ある意味お知らせのようなものなんだけど、僕は「キャッツ」という映画の中でアンドリュー・ロイド・ウェバーと仕事をしているんだ。映画を見るときって、ほとんどの人がエンドロールを見る前に映画館を出るってことに気づくと思うけど、実は僕はテイラー・スイフトのビッグ・ナンバーとジェイソン・デルーロの歌う曲のアレンジをしているんだ。観客はエンド・ロールで出てくるクレジットを見ないだろうから、そのことには気づかないだろうね。だから人々は僕がした仕事を知らないままだろうけど、それは僕の人生の在り方だし、僕はそれで全然構わないさ。


【2020年代に最も期待していること】

ヒット・シングルが欲しいね。こんなにヒット・レコードに恵まれた僕が、まだ「ヒット・シングルが欲しい」なんてクレイジーだよね。これはどういうことかって言うと、この10年間で、僕にはたくさんのヒット曲があったけど、でもそれが、「ナイル・ロジャース」あるいは「シック」名義のものだったら素晴らしいだろうと思うんだ。ほかのアーティストとのコラボレーション、ってことではなくてね。オールドスクール・スタイルで最高の曲にするんだ。僕ら世代には楽しいと思う。

世界規模でそれを達成するのは最もハードなことだけどね。もし、簡単に出来るっていうことなら、本当に才能があって輝ける素晴らしい僕ら世代のミュージシャンたちが、ヒット・レコードを生み出しているのをもっと目の当たりにしていただろう。それが起こらない理由はたくさんあると思うけど、アーティストたちに才能がないということではないんだ。そうではなく、彼らには新しい曲を購入してくれるオーディエンスがいないというのが理由だよ。オーディエンスたちは新しい曲を買って聴くというよりは、「ライド・ライク・ザ・ウインド(邦題「風立ちぬ」1979年クリストファー・クロスのデビューアルバムからのシングル曲)」や、「サウンド・オブ・サイレンス(1964年サイモン&ガーファンクル)」、「ウィー・アー・ファミリー」といった(以前にヒットした)曲を聴いたりしてるんだ。



情報サイト:rollingstone.com

翻訳:Manami Tanaka

閲覧数:262回
bottom of page