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Nile Rodgers & CHIC

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photo by Hiro Nomura
nilejapan

 また、彼は若い頃よりジャズとクラシックの教育を受けている。近年のインタヴューでも、ジャズのコードやハーモニーを導入したディスコ・サウンドがシックの特徴だと発言している。
 人種としての彼の出自はアフリカ系だが、後天的に体得した思想面・音楽面ではロックン・ロールな人物なのだとその言動から感じることができる(自分の仕事を "R&R business" と表現している)。別掲するシック以降のプロデュース作品や交友は広範なものだが、彼自身にとっては自然なものなのだろう。

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photo by Mance Thompson
 

             Nile Rodgers

                    ( producer, leader, guitar, vocal)

nile

 ナイル・ロジャースはNY市で生まれている。母は十三歳の時に彼を宿した。継父はユダヤ系白人で、ロジャースの両親はNY市のヒップなカルチャー・シーン”ビートニク”の渦中に居た。ゆえに彼は幼い頃よりジャズ、プロテスト・フォーク、ポエトリー・リーディングそしてR&Bといったものに接していた。さらに六十年代半ばから後半にティーンエイジを迎え、アメリカのポップスとR&Rの黄金時代、ザ・ビートルズを旗手とした英国ポップ音楽、サイケデリック、ソウル、ファンク、そしてヒッピー・カルチャーやブラック・パンサー運動等などに遭遇、様々な音楽や思想を縦横無尽に吸収していく。


 

nilejapan
photo by Mance Thompson
 

Jerry Barnes (bass, chorus )

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jerry

Jerry Barnes musical journey

締切2016年12月6日(日本時間午後1時59分=ニューヨーク時間5日23時59分)

 

【ジェリー・バーンズによるプロジェクト「ミュージカル・ジャーニー」】

 

ナイルの盟友であったバーナード・エドワードの亡き後、シック再結成の立役者となった元JUICYのメンバーで現シックのベース・プレーヤー、ジェリー・バーンズ。R&B、ファンク・ベース奏者の第一人者としても知られるジェリーが、この度、自身のオリジナル・アルバム制作プロジェクトを立ち上げています。クラウドファウンディングによって資金の支援を仰ぎこの企画の実現を目指すというものです。

アメリカを本拠地としているキックスターター(Kickstarter)というサイトを通じてドネーション(寄付)を行いますが、支援の金額によって、その特典としてジェリーから受け取ることが出来るギフトはさまざま。 その内容を簡単に以下に紹介していますが、どれも魅力的なラインナップとなっています!

 

日本からキックスターターへの送金方法は多少判りにくいところもありますが、以下のリンク先にて詳しく紹介されています。ご参照ください。尚、募った寄付金が目標額まで達しなかった場合は返金されるとのことです。

 

Kickstarterで日本から支援するときの流れ解説(注.項番7の住所情報入力欄は現在無くなっております)

アルバムにはイザイア・シャーキー、バシリ・ジョンソン、ジョタ・クエスト、(シックからはラルフ・ロール)他多数の素晴らしいミュージシャンをフューチャーしていて、「絶対の自信があるんだ!」とジェリーは意気込んでいます。「日本のみんなにもこのアルバムのことを知って、サポートして欲しいと思っているよ」とジェリー。

ジェリーがもし、ナイルに声を掛けていなければ、私達はあの彼らの楽しいショーを体験出来なかったかもしれません。ぜひ、ジェリーのニュー・アルバムへのサポートをお願いします。ジェリーと「ミュージカル・ジャーニー」を共に出来るチャンスです!

このアルバムの発売に先駆けて、ジェリーは先日「ジャスティス(Justice)」というシングル曲をリリース。こちらの曲はいつもジェリーがシックのショーで見せてくれるファンキー・ベースとはまた違った印象で、ジェリーの美しいのびやかなボーカルも楽しめます。こちらもぜひ、チェック&シェアをお願いします!

 

【このキャンペーンへの寄付への特典としてジェリーから贈られるギフト(金額によって異なります)】

 アルバムのアート・ワーク、アルバムのMP3音源、ジェリーからのビデオ・メッセージ、Skypeでの個人レッスン、ジェリーによるオーダーメイドのケーブル、NYアバター・スタジオにて個人レッスン、ジェリーが帯同するツアーでのサウンド・チェックやバック・ステージ・ツアー、ジェリー・コレクションの中からジェリーやナイル、シックのメンバーのサイン入りギター 等

【このプロジェクトについて】

私のキックスターター・ページにようこそ

こんにちは。ジェリー・バーンズです。私は現在アルバム制作の最中で、これを売り出すためにキックスターターにてキャンペーンを立ち上げました。アルバムの完成がとても楽しみです。そして私のこのプロジェクトにあなたが参加することがとても素敵なことと思って頂けるようにと願っています。

私は、このプロジェクトを支えてくれる方にお礼を申しげたいと思います。

あなたは報酬を選ぶ必要はありません。現在、寄付金はまだわずかです。もし寄付が出来ないのでしたら、私のこのキャンペーンをどうかあなたのご友人・知人へシェアをお願いします。

芸術を、音楽を、そしてクリエイティブな人々へのサポートを、ぜひお願いします。

私のウェブサイトもご参照下さい。  http://jerrybarnes.com/

【1ドルのゴール】

私は、皆さんが好きなように寄付をして頂けるように、このドネーションのゴールを「1ドル」と設定しました。

もしあなたが、人々に気分が良くなるような何かをしたいのであれば、このキャンペーンがその手助けとなると私は思っています。

このプロジェクトは以下のミュージシャンの方々をフューチャーしています … シャーロット・バーンズ、イザイア・シャーキー、カトリース・バーンズ、キャリ・パーカー、ラルフ・ロール、バシリ・ジョンソン、コリー・ヘンリー、ボビー・スパークス、ジェフ・リー・ジョンソン、ミノ・シネルとジョタ・クエストのメンバー

"正義"ジェリー・バーンズ【対訳】

 

彼はまだ子供なのに

君が彼から笑顔を奪ったのさ

君は自分が神様だと本気で思っているようだけど

とんだ誤解だからな

なぜ君は命を奪ったんだ?

また一人の犠牲者が出た

僕たちはネットで君を見つけた

もう君は死んでしまったんだね

 

僕たちは、悲しみの帯域幅の中で暮らしている

この残忍なシステムを変えなければいけない

命の価値はみんな同じはずだ

でも、罪のない命が失われている

すべては僕たちの責任さ

 

彼はまだ子供なのに

君が彼から笑顔を奪ったのさ

君は自分が神様だと本気で思っているようだけど

とんだ誤解だからな

なぜ君は命を奪ったんだ?

また一人の犠牲者が出た

僕たちはネットで君を見つけた

もう君は死んでしまったんだね

 

僕は平和をずっと望んできた

でも世界は変わらないだろうね

君と同じようにみんなが去るまで

憎しむことは病気をどんどん広めていく

そして治療法は愛しかないのさ

許すことは悪を正していくんだ

La,la,la,la,la,

La,la,la,la,la,

La,la,la,la,la,La,la,la

La,la,la,la,la,

La,la,la,la,la,

 

僕たちはネットで君を見つけた

もう君は死んでしまったんだね

 

僕たちはネットで君を見つけた

もう君は死んでしまったんだね

 

僕たちはネットで君を見つけた

もう君は死んでしまったんだね

 

He only was a child
You took away his smile
You really think you're god, but you're not
What made you take a life
Another sacrifice
We got you on the web, now you're dead

We're living in a bandwidth of pain
And this system of brutality must change
Every single life means the same
And our innocence is gone we're all to blame

He only was a child
You took away his smile
You really think you're god, but you're not
What made you take his life
Another sacrifice
We got you on the web now you're dead

I've been hoping for peace
But the world won't change 'til ones like you are gone
Hate is spreading disease
And the cure is love forgiveness right from wrong

La la la la la
La la la la la
La la la la la la la la
La la la la la
La la la la la

We got you on the web now you're dead
We got you on the web now you're dead
We got you on the web now you're dead

【対訳者より】

ジェリーの平和を強く望む気持ちが良く分かる歌詞ですね。

「ネットで君を見つけた」の「君」とは、「命を奪われた犠牲者」

の事でしょうか?それとも、「犠牲者をネットで見ても放置して

きた私達自身」の事なのでしょうか? 命を尊く思う気持ち、

音楽に感動する気持ちは、万国共通ですね。

 

ジェリーの新プロジェクト「ミュージカル・ジャーニー」を

日本からも応援していきたいですね。

       Ralph Rolle

( drums, chorus, lead vocal on “Let’s Dance”)

photo by Mance Thompson
 

NY市ブロンクス在住。
 シックへの参加は2007年。
 シック以前から久保田利伸のバンドメンバーとして来日している
ので、
そちらで先に彼を知っていた方も多いかもしれない。
 

 シック参加直後のモントルー・ジャズ・フェスティヴァル出演時、クロウド・ノブス(同フェス責任者、2013年没)がロジャースに「トニー・トンプソン以来のシックにフィットしたドラマーだね」と感想を述べたそうで、それをロールはとても誇りに感じている。
 

 祖母のレシピを活かしたというクッキー店「ソウル・スナックス」オーナーでもある。
 

 2010年のレパートリー拡大にあたり、彼の出番(ヴォーカル&ドラムズ!)である「レッツ・ダンス」が追加された。「僕はデヴィッド・ボウイが大好きで彼のスタイルを真似していたんだ。通りを歩くとみんなが『あれ?ボウイじゃない?』と振り返ったものさ」あるいは「僕はデヴィッド・ボウイのツイン・ブラザーなのさ!」などとライヴ中に話す事もある。まさか!?(笑)

 

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ralph

Ralph Rolle インタビュー

2016/12/10

シックのドラマーとして2007年よりバンドに加わったラルフ・ロール。バンド・メンバーとしての活動歴も10年になろうとしている彼は、今やシックのショーに居なくてはならないグルーヴ・メイカーです。ラルフはシックの他にも様々なアーティストのサポートを(世界中で)行っており、日本のアーティスト達とも深い縁がいくつもあります。さらには、近年彼が以前にも増して情熱を注いでいる「ドラム・クリニック」を日本でも数多く開催しており、このインタビューを行った2016年12月の来日も、昨年中では、なんと4回目の来日でした。

来日の度に、生徒は増えており、ミュージシャンを集めて開くセミナーの他に、ラルフはジャムセッションへの参加や個人レッスンなども請け負いつつ自身が出演するライブの予定も抱えている、というのが、ここのところの来日滞在スケジュールのパターンとなりつつあります。忙しいスケジュールの合間を縫って、このように日本を気に入ってマメに来日しては、あらゆる形で私達をエンターテインしてくれるラルフへ、当ファンクラブからも感謝の気持ちと応援のエールを贈るべく、インタビューを大公開します!

インタビュー当日も、ドラム・クリニックの合間の忙しいひとときではありましたが、どの質問にもちゃんと丁寧に答えてくれたラルフ。短時間ながらも、ラルフの思いやパーソナリティに触れることの出来たインタビューとなりました。次回からシックの音源やショーがちょっと違って聴こえるかも知れません。もちろん、ラルフのファンの方にも楽しく読んで頂けると思います。インタビュー終わりに、ラルフはビックでクールな「宣言」もしてくれました(笑)。ぜひ、最後までお楽しみ下さい!

(インタビュー聞き手:CHIC FREAKSファンクラブ  文責:CHIC FREAKSファンクラブ)

文章・写真の転載コピーは一切禁止とさせて頂きます) 

― こんにちは、ラルフ。お元気ですか?

 

「やぁ、どうも。うん、元気だよ」

― 今回で、2016年の来日はなんと4回目となりましたが、来日の最大の目的とは何でしょうか?

「今回日本に来たのは、何人かの人たちとビジネスに関する話をするためなんだ。あとはショーをやってレッスンをする。そんなところだね。あ、クッキー・ビジネスの話も進めているよ」

― クッキー・ビジネスが気になります。日本で(販売を)再開できそうですか?

 

「僕のクッキーのカンパニー『ソウル・スナックス』は順調だよ。まだ今は日本で事業展開するための最適のビジネスパートナーを探している最中なんだ」

― お忙しいとは思いますが、お仕事以外で何か楽しみにしていることはありますか?

 

「食事だね!(即答)」

― 日本食ですね?

 

「そう、お寿司!」(ラルフはお寿司が大好物です。特に貝系とウニ!)

― では、ドラム・クリニックについてお伺いします。今日のクリニック(2016年12月10.日実施 「ラルフ・ロール プレミアムドラムクリニック」於:音楽スタジオ ワイルドフラワー/千葉・行徳)はドラマーにフォーカスしたものですが、あなたはドラマーに限らずすべてのミュージシャンの為のクリニックも開催しますね?

 

「ああ、ちょうど先週(東京)小岩でやったクリニック(2016年12月7日実施 「ラルフ・ロール プレミアム・ファンキーセッション hosted by王子聡&佐藤寛二」於・ライブシアター・オルフェウス/東京小岩)がそうだったんだよ。とてもたくさんのミュ

ージシャンが来てくれて、僕はみんなの前で音楽について語ったり、皆と一緒に演奏したりパフォーマンスについてアドバイスをしたりしたんだ。とても楽しかったよ」

 

― どうしてドラマーに特化することなく、全てのミュージシャンへのクリニックを行うようになったのでしょう?

 

「僕のドラムクリニックでは、具体的な技術の他に、演奏を仕事にしていくために必要なことがどういうことなのか、僕がかつて実践したり学んできた方法について話をすることが多いからなんだ。どうやったら職業としてギグし続けられるかっていう話をね。…そうだな、僕のクリニックって、60パーセントがドラミングに関することで、あとの40パーセントがモチベーションについてだったりするんだよ」

 

― あなたは教えることが大好きで、今までたくさんの生徒をクリニックで教えて来ました。モチベーションにも言及していくというあなたのクリニックで、あなたが生徒に一番学んで欲しいと思うことは何でしょう?

 

「それは『情熱というものに注意を払う』ってことだね。そのことで人生を生きることや、音楽に対する考え方へのドアがいくつも開いて、色んな可能性を見出すことが出来る。そしてそれはミュージシャンでいることにとても役立つからだ。パッションを持って全てのことに対峙する大切さを、いつも学んで欲しいと思っているよ」(言い終わった後も「パッション!パッション!」とカメラを見つめ声を出さずに口をパクパクするラルフ)

― 数多くのクリニックを通して、あなた自身も成長を感じることはありますか?

「これは、何度も言ってることなんだけど…僕と生徒、どっちが教えているのかって時々判らなくなるときがあるんだ。いつだって僕はあらゆるものから何かを学んでいて、そのことが僕の人生をより良くしてくれている。ギブ・アンド・テイクなんだよ。だから、僕と生徒の違いというのは、僕の方が多くの経験があるっていうだけだろうね」

― では、2016年を振り返ってお話を聞かせて下さい。2016年もいつも以上にあなたは忙しくて、実に沢山の仕事をしてきました。まず、グラミー賞授賞式のステージで、デビッド・ボウイのトリビュート・ショーをレディ・ガガやナイルと共にパフォーマンスしました。準備も大変だったと思います。そしてシックのメンバーとして、デュラン・デュランとツアーも成功させましたね。本当に色々あったと思いますが、今振り返って、あなたにとってどんな年でしたか?

 

「うん、実に…実に興味深い一年だったな。まず、(グラミーのステージをやる前の)今年の初めに、ソニー・レコードのCEOであるL.A.リードと仕事をしたんだ。僕は彼のパーソナル・インストラクターだったんだよ!

L.A.リードが「BETオナーズ」というTV番組への出演が決まって、そこでドラムをプレイすることになった。彼は久しくドラムをプレイしてなかったから、その為にドラム演奏をブラッシュ・アップする必要があったんだ。そこでそのインストラクターに色んな人が、僕を推薦してくれて…、とても有名な番組プロデューサー(ファーギーやアリシア・キーズを手掛けたことで知られる)なんだけど、レミーやラームといった人たちが僕のことを推薦してくれて、それで僕は彼のレッスンを請け負ったのさ。

実際会ってみると、L.A.リードはとてもナイス・ガイだったね。僕たちはすぐに仲良くなったんだ。僕は彼と素晴らしい時間を過ごせたよ。

そうやって、2016年がスタートしたんだ。・・・僕の2016年の話、この調子でもっと続けるべき?(笑)

― では、次に2016年デュラン・デュランと一緒に回ったツアーについて聞かせて下さい。シックとデュラン・デュランが一緒に回ったツアーはとても長期間でしたよね?

 

「そうだね、、、うーんと2ヶ月くらいかな?実はちゃんと覚えてないんだよ(笑)。とにかくたくさんのショーをやった。アメリカ全土を回ったからね。東海岸、西海岸、もちろん中部も。カナダにも行ったよ。

(注:実際は2016年4月キックオフ。途中2ヶ月ほどブレイク期間をおいて9月上旬まで回った。計約30公演)

楽しかったなぁ。デュラン・デュランのメンバーは全員いいヤツなんだよ。とても親切だしね、ツアーを通して僕たちはすごく仲良くなったよ」

― 長いツアーの始まりと終わりでバンドに何か変化などはあったでしょうか?

「ノー、ノー!僕たちバンドはツアーのスタート時からすごくいい調子だった。テクニカル・スタッフも完璧な仕事をしてくれたし、何もかも全てうまく行ったよ。本当に楽しいツアーだったよ。そうだ、楽しいと言えばシックとデュラン・デュランでディナーに行ったりもしたよ。『バンド・ディナー』だね。あれはケッサクだった!」(ここまで話して思い出し笑いをかみ殺しているラルフ笑)

― バンドとして、長いツアーを廻る時に最も重要なこととは何だと思いますか?

 

「体調管理だね。十分な休息とちゃんと食べること。ツアーするとなると、とにかく移動が多いし、健康に注意することがすごく大事だ。適切な食事はね、特に大事なんだよ」

― では次に、ここで改めてシックについての話を聞かせて下さい。あなたは現在、伝説的バンドであるシックのリズムセクションを担当されていますが、バンド創設時のそのパートのメンバー、つまりバーナード・エドワードとトニー・トンプソンについてはどんなイメージを持っていますか?」

 

「実は、これまで僕はバーナードとトニーにお目にかかる機会には恵まれなかった。残念なことだけど。バーナードは間違いなくアメリカのベスト・ベーシストの一人だね。音楽そのものや、サウンド・プロダクション、音楽への

アプローチは本当に、本当に、正確で全て的を得ているんだ。そういう彼のスタイルって他には類を見ないものだよ。もちろん、ナイルだってずっと以前から、そしてもちろん今だってすごいんだけど。

トニーについては、すごくロックが好きなドラマーなんじゃないかと思うよ。シックで彼がドラムを叩いてた時もメチャカッコ良かった。でも、もしかしたらシックの後、パワー・ステーションに移った時が彼の真骨頂だったんじゃないかな。パワー・ステーションの音楽を聴いたとき、そう思ったりしたな。彼にとっては、パワー・ステーションというバンドがあったことはすごく良い

事だったんじゃないかな」

― ナイルはよく『日本のファンはとても細やかに自分達の音楽を聴いてくれる』と言ってくれるのですが、そのことについてはどう思いますか?日本のファンについてどう感じていますか?」

 

「日本のファンのみんなって、とても献身的なんだ。何年にも渡って僕たちのショーへ足を運んで応援してくれるファンがたくさんいるんだよ。いつもパーティ同然で大歓迎してくれるんだ。みんなすごくクレイジーだよ(笑)!ノリがいいからね、いつだって楽しいよ。

実は最近、僕たちはとても仲の良かった日本のファンの一人を亡くしてしまった。彼はシックやファンク・ミュージックを本当に愛してくれていたんだ。彼が亡くなってしまった後に改めてフェイスブック・ページを見てみたら、彼は全てのシックのショーに来てくれていて、その時の写真を全て投稿してくれていたのさ。そんな大切なファンを失ってしまったんだ。僕たちはとても寂しく思ってるよ。

彼もそうだったけど、日本のファンはいつも前向きに僕らの音楽を聴いてくれる。とても熱心に一生懸命聴いて楽しんでくれるから楽しいよ。そう、日本に来ることはいつだって楽しいのさ!」

 

― では、2017年のあなたの抱負を聞かせて下さい。どんなことを計画していますか?」

 

「2017年は、今やっているようなドラム・クリニク・ツアーを、今までよりもワールド・ワイドに展開して行きたいと思ってるんだ。ドラムそのものを教えると言うよりは、音楽に対する考え方なんかを教える、そういう、モチベーション・スピーキング・ツアーのようなクリニックをやりたいな。実はもうそんなようなことを、僕は今年からヨーロッパで始めているんだ。一方ではドラム・クリニックをやって、一方では大学で講師のようなことをね。あ、それからセレブ・シェフにもなって(笑)クッキーのレクチャーもやったよ!そういったことをね、2017年は機会を増やしてもっとやりたいと思っている。僕は、本当にティーチング、教えることが大好きなんだ!」

 

― シックの日本公演についてはどうですか?実現するでしょうか?

 

「2017年は・・・そうだな、100パーセント実現すると思うよ!間違いなく、、、ね!」(カメラに向かってニッコリ笑ってウインクするラルフ)

― ラルフ、楽しいお話をありがとうございました。

      最後にファンのみんなへ、一言お願い出来ますか?

nilejapan

Kimberly Davis (vocal)

photo by HIro Nomura

NY市ブルックリン在住。
 2009年の来日公演後、前任シルヴァー・ローガン・シャープの後継として加入。ラルフ・ロールの推薦があったのだという。
 パワフル、ソウルフルな歌の担当。「愛してほしい」のクライマックスでのハイ・トーン/ロング・トーンには毎回聞き惚れてしまう。
 以前からNYのライヴ・ハウス・シーンで活動しており、本場のミュージシャンがカヴァー曲を歌い演奏する企画「ハーレム・ナイト」や、いわゆる箱バンのシンガーとしての来日経験もある。


 

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kim

congratulations!

Nile Rodgers & Tony Moran pres. Kimberly Davis- "My Fire"

billboard Dance Club Songs Chart​ NO.1

インタビュー

Kimberly Davis Talks Chic, New Single 'My Fire' and What's Next: Interview

【キンバリー・デイビスが語るシック、ニュー・シングル「マイ・ファイヤー」、その次の未来】

8年前、キンバリー・デイヴィスはニューヨークのクイーンズ・シティの市職員として働いていた。しかし現在はシックのボーカリストであり、彼女が歌うトニー・モランによるニュー・シングル「マイ・ファイヤー」(ナイル・ロジャースがフィーチャリングされている)は、先日ビルボードのダンス・クラブ・ソングチャートで1位を獲得した。

彼女はどうやってここに辿り着いたのだろう?

「私は常にシンガーだったの。話し始めるようになった時から歌っていたほどよ」 キンバリーはサンペドロに向かう道中、どこという名もない土地を走るシックのツアーバスの中で説明してくれた。ニューヨーク、ブルックリンで音楽好きの家庭で育ったキンバリーは、すべてのファミリー・イベントや教会のイベントで歌を披露していた。入学のためのオーディションには当初気乗りはしなかったものの、彼女は音楽とアートとの名門、ラガーディアン高校に進学した。そこは映画「フェイム」のインスピレーションとなった学校である。

「私ったら『フェイム』に出てくる女の子みたいにはなりたくないから、あの高校へは行きたくないわ」なんて言っていたのよ」と、冗談を飛ばす。「みんなが上手に歌えるんだろうから、私のことなんて見もしないだろうしね!(笑)」

結局、いわゆる9時から5時まで、といった普通の仕事に就いたが、スポットライトを常に探し求めていた、とキンバリーは言う。「バックコーラスで歌っていたの。いくつかのレコーディングにも参加したし、ギグもやったわ。結婚式で歌ったり、そういったことの全てね。歌うことなら何でもやっていたの」(キンバリーはホイットニー・ヒューストンやデボラ・コックスといったヴォーカリストのアイコンといった人たちのバックで歌っていた)

彼女のこれまでの最大の転機は、友人でもあるシックの現ドラマー、ラルフ・ロールからそのバンド、シックのオーディションのことを告げられた事だろう。「ラルフが私にその話を電話で教えてくれた時、私はまさにデスクで仕事中だったの。それから職場を出て、自分の車に乗って、(勤め先である)クイーンズからマハッタンへ向かったのよ、オーディションを受けるためにね」彼女はオーディションのプロセスをパスし続けて、最終的にはシックのシンガーの座を勝ち取った。

「私が会場に行くと、オーディションの順番を待つ女の子がたくさんいたの。私はそこにいた友達のドラマーを見て言ったの。「あら、元気?」って。そしたらラルフは私を見て言ったわ。「そんなこと言ってる場合じゃない。僕たちはゲームをして遊んでるんじゃないんだ」彼女は笑って続けた。「私はメモを貰ってすぐ、「愛して欲しい」を歌ったのよ。シックの曲の中でもお気に入りの曲のひとつだわ。そして歌い終わった時にはシックのマネージャーが、ツアーの残りの予定表を私にくれたの」他の女の子たちはまだオーディションを受ける為に会場の外で待っていた。しかしキンバリーがその座を勝ち得たのだ。ゆえに彼女はそこで自分の椅子を得た事を「シンガーとしては今までで最高の仕事」と言う。

「私は務めていた職場に戻って、壁に貼ってあった全ての写真をそこから外して、そして「サヨナラ!」と言ったわ。そしてこのことは私が生きてきた中で、最大の好機であり挑戦だった。私は女王のように手を振ってドアから出て行ったのよ」

デイヴィスは初めてオーディションでナイル・ロジャースと会って以来、彼ととても親密になっていった。
「ナイルは話の達人なのよ!」彼女は言う。「彼には多くのストーリーがあって、彼の本(ナイル・ロジャース自伝「ル・フリーク」)の中にたくさんのそういう話が書かれているわ。でも彼の一番面白い話というのは、ずいぶん昔のことなんだけど」と、彼女のお気に入りのひとつである話をしてくれた。

「ナイルが言うのよ。『僕はクラブでめちゃくちゃハイになったのは覚えてるんだけど、クラブを出た後、自分のランボルギーニを見つけられなかったんだ』ですって!彼はね、ランボルギーニだとかポルシェだとかそんな高級車を持っていたんだけど「クルマが見つからない!」と言って、そのまま家に帰って次の日にまた高級車を買ったのよ!」

シックはアース・ウインド・アンド・ファイヤー(以下 EW&F)と8月中旬まで続くツアーに出ている最中だ。キンバリーはEW&Fの持つダイナミックさに喜びをほとばしらせていた。「私たちシックとEW&Fのメンバーはまるで家族のようなの。ここにいる人はみな非常に才能があって、自分のすることがとても得意な人達よ。私たちはたくさんふざけあうのよ、それでちょっとした言い合いみたいになることもあったりしてね。でも必ずまた仲良くなるのよ。だって私たちって兄弟同然なんだもの」彼女はシックとEW&Fとの関係において互いに尊敬しあうことの重要性に触れた。「私たちがしていることで、観客が盛り上がるのは最高だわ。私たちが「グッドタイムズ」を歌う頃には、ステージにはオーディェンスがいて、そこにいる全員が私たちと一緒に踊っているの – 信じられないくらい最高なの - お客さんはとても盛り上がってステージに上がってくるわ、それはすごいのよ。そして私たちが歌い終わった後、廊下でヴァーダイン(ホワイト)かフィリップ(ベイリー)とすれ違う時に、彼らは「やるじゃないか、ガール!」なんて言って、私たちは投げキッスをしあうのよ。こんな感じなのよ、私たち。

キンバリーの声は、何人かのR&Bの伝説的なアーティストと比較されることがある。それは彼女がバック・コーラスを務めたアーティストも含まれる。「『君の歌はホイットニーのことを思い出す』」と言ってもらうことは、とても光栄だわ」と彼女は言う。「私は確かに歌って来た人生の中でずっとそう言われ続けて来たけど、でもそう言ってくれる人だって、キンバリーの存在を認めてくれているし、キンバリーの歌を感じていてくれているのよ。単にホイットニーがここにいない、っていうだけじゃないわ。そんなふうに私は私の存在を残しておくつもりよ」

キンバリーの曲、「ウィズ・ユー」、「ツイスト・オブ・ラブ」そして「ゲット・アップ」はビルボードのダンス・クラブソング部門でそれぞれ4位、9位、そして12位へチャート・インを果たしている。そして「マイ・ファイヤー」については1位へ輝いた。この曲はトニー・モランのプロデュース、マイク・グリーンリーとオードリー・マーテルスによって書かれた曲である。「私はその曲を、スタジオに向かう途中で聴いたわ。そして到着してから一度通して歌ったの。私たちはその1回のテイクでレコーディングをやり終えたのよ」キンバリーはシームレスなレコーディング過程についてそう語った。

彼女は、プロデューサーが彼らの豊富な経験を発揮してくれたことに非常に感謝している。「トニーが曲の上でどんな仕事をしたとしても、人々はみんなその曲が好きになるのよ。あの曲はデボラ・コックスの「ノーバディーズ・サポウスド・トゥ・ビーヒアー」のようなスローの曲にすることもできたの。スローなR&Bソングだったんだけど、彼らはクラブ・ソングに仕立てたのよ。私たちはあのような曲を失いかけているわ。私たちがかつてクラブへ行ってそこで踊っていたようなマーサ・ウォルシュ、みたいな曲をね。でもこういうプロデューサーがいてくれたおかげで、まだクラブ・ソングと関われているの」

現在彼女が廻っているツアーは8月下旬に終わる予定だが、それによってデイビスは彼女のソロとしてのキャリアを全く無駄にしてるという訳ではない。「マイ・ファイヤー」をより広めたりすることや、それに続く曲や、そして同様にアルバムにも期待が高まる。

「まさに今、違うジャンルからのスタートを見つめているの、私はどんな曲でも歌うことが出来るから。それを見てもらいたいわ」彼女は来たるべき新しい音楽についてそう語った。「私は絶対にR&Bというジャンルをクロスオーバーするものをやりたい。コンピレーションアルバムをやったり、デュエットやラッパーとのコラボレーションとかね。私たちには作品のアイデアがいくつかあるし、それらがジャンンルを超えて絶対にトップ40に入るという期待をしてるの」彼女はまた、他の曲でのナイルとのコラボレーションについても期待を高めている。

さぁ。このインタビューにおける彼女の結びの言葉は?「いつでも常に猛烈に。しかし同時に謙虚であれ、ね」

情報元:billboard

Chic's Kimberly Davis talks 'My Fire,' Madison Square Garden show

【シックのキンバリー・デイビス、自身のシングル曲「My Fire」 やマディソン・スクエア・ガーデンでのショーについて語る】

ファンクグループとして高い評価を受けているシックのメンバー、キンバリー・デイビスが、自身ののソロシングル「マイ・ファイヤー」や、近く開催予定のナイル・ロジャースやシックと共に行うマディソン・スクエア・ガーデンでのショーについて語ってくれた。 キンバリーがナイル・ロジャース、DJトニー・モランとコラボレートした楽曲「マイ・ファイヤー」は、ビルボード・ダンスクラブ・ソングチャートで1位を獲得したばかりである。 「とても興奮したわ」と彼女は認めた。 「チームの努力のおかげよ。チーム無しじゃ何も進まなかったわ。私たち皆で全てをやったのよ!」 「私はナイルと8年の間一緒にいるから、お互いに何が大事かを分かっているの。私は私たちであの曲に対して素晴らしことが出来るとわかっていたのよ。トニーはずっとファンだったの。スタジオでまた彼を起用できたなんて、本当にすごい事なのよ」 「トニーとは、「My Fire」に取り掛かる前に、他の曲を制作していたわ。 トニーは私のベストパートナー」と、彼女は言う。

来たる8月7日、ロジャース、デイビス、そしてシックはアースウィンド&ファイアとともにマディソンスクエアガーデンでパフォーマンスを行う。 「バークレイズ・センターでのショーも大ごとだったけど、マディソン・スクエア・ガーデンでのショーはさらに一大事よ(共にニューヨークにある会場)」 「シックのオーディエンスは常に世界中にいるけど、ここニューヨークでより多くのオーディエンスを生み出そうとしているの。だから、マディソンスクエアガーデンでのショーはまさしく良いブッキングだわ」と、彼女は付け加えた。 シックについて特に感慨深いことは、ロックの殿堂に11回ものノミネートされて、そしてついに今年ロジャースが「音楽優秀賞」という名誉を与えられ殿堂入りを果たしたことである。

シックのディーヴァ、キンバリーはミュージック・シーンのデジタル化がどれだけ予測もしない方法で音楽産業を形成してきたかについて口を開いた。 「誰もがダウンロードするか違法コピーするようになってから、私はCDが売れるなんて予測しなかったのよ。だから、以前プリンスがマディソンスクエアガーデンでのコンサートチケットにCDを付けて売ると決めた時には、本当に納得しちゃったわ。チケットであると同時にCDでもある。本当に天才よ。」と、彼女は言った。 「プリンスは、それをやった最初の人なの。彼は別にレコードの売上を多く取ろうっていうわけではなかったのよ。それはもう素晴らしいアイデアよ。」 デイビスは続けた。「音楽産業は現在、まったく違うものになったわ。 まともじゃなくなっちゃたのよ。テクノロジーで何でも簡単に手に入れられるという現実は誰もが大好き。でも、アーティストである限り、アルバムの売上に誰も貢献してくれないという事は、辛いことよ。以前ほど(CDの売上は)良くないわ。でも、そういう訳でプリンスがやったようなアイデアが生まれて、うまく行っているのよ」

情報元:DIGITAL JOURNAL
nilejapan

FOLAMI (vocal)

photo by Hiro Nomura

ジョージア州アトランタ在住。
 2008年に加入、2009~2010年にいったん離れるも、2011年の来日公演より復帰。
 シャープ在籍時はキュートな歌の担当/二番手という位置にいた彼女だが、現在はダブル・リード・ヴォーカルとして(83年以前のシックの様に)デイヴィスと歌を分け合っている。「アイム・カミング・アウト」「ライク・ア・ヴァージン」等が持ち歌という事になるだろうか。
 ヴォーカリストでありモデルという肩書きを持つ彼女はファッション・リーダー的な役割も担っており、スタイリストとしてロジャースの髪のケアを現在しているのも彼女だ。


 

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folami

インタビュー

Q. フォラミ、あなたの話を聞かせてください。どんな風にしてあなたは今日ここまで辿りついたのですか?

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私は幼い頃から姉と一緒にカリフォルニア州のイースト・パロ・アルトというところで歌を歌い始めました。舞台芸術が盛んな小学校と中学校へ通っていたの。初めてのギグ(ショーの仕事)は9歳の時で、アフリカのダンスの劇団とペプシコーラのCMに出演しました。私と私みたいな年の子どもとでCMに出演したんです。高校生になると、私にとっての歌やダンス、そして演技のロールモデルとなるような人がその頃のベイエイリアにはたくさんいました。サウスベイにて有名な劇団で、いろんな役を演じたんです。

その後、大学レベルでエンターテインメントをみっちり学ぼうと決意して、ワシントンDCのハワード大にあるミュージカル・シアターでBFA(芸術系大学卒

業者へ与えられる学位)を取得しました。2002年にはワンシントンから南部のエンターテイメントの中心であるアトランタに移って、レコーディングアーティストとして音楽のキャリアを深めて行きました。

一方で別のスキルである健康・美容業界でよく知られていた特技を用いて、私はナチュラルヘア・スタイリストとして働いていました。結局今の私はアートと美容の技術という自分の中の最良なことたちが結実したってこと。音楽業界で働くってことは、最初のうちは面倒なことに出くわすものです。だから私は私のすべてのスキルを用い今日ここまでやってきました。

現在、私は1978にスタートしたシック(実際のデビューは1977年)というバンドでリードシンガーのうちの一人を務めています。このバンドの唯一の生き残りである初期メンバーのナイル・ロジャースの指揮のもと、彼のオリジナルサウンドと往年のヒットカタログを融合したショーで世界中を旅しているところなんです。このバンドに参加してから、今年で11年よ。世界各国で何百人もの前でパフォーマンスしてきました。ビヨンセをフィーチャーした2018年のコーチェラ・フェスティバルやプリンスと共演したエッセンス・フェスティバル、ロック・イン・リオのステージやグラストンベリー、ロンドンのO2アリーナ、アメリカン・アイドル(人気TV番組)といった素晴らしいステージ゙なんかをね。それから、オバマ大統領が主催した最後のパーティーにも出演しました。2017年にはソロ・アーティスとして自分のアルバムの正式リリースを果たしました。今年にはヴォーグ・パリの8月号で2ページに渡って私のヴィンテージ・ファッションスタイルを特集してもらうという栄誉にもあずかりました。

ちょうど今、私のバンドとナイルはシェールとのツアーの最中なの。アメリカ全土を回っている「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン・ツアー」の第3弾をやっていて、来年(2020年)にもまた、2本のツアーが追加されます。

Q.あなたの情熱を追求する素晴らしさには驚かされっぱなしですよ。しかし、それは「いつだって簡単なことではない」と、私たちは多くの人たちとこのことについて話してきました。総じて、あなたにとってはそういったことは容易でしたか?

私の成功というのは、私の中にある貢献の確固たる証しなんです。私には忍耐力がある。それは私がヘア・ブレイダー(美容師のこと)になって、12時間ノンストップで仕事に取り組んだ11歳の頃から始まったのよ。そう、忍耐力!私が受けて来たしつけや家族の強さから成り立っている私の基礎となる部分のおかげで、私は数々の難局をくぐって来たのです。それはもう本当に色んなことがあったんです!私のオリジナル・ソング「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」(血と汗と涙)は、まさに私のそんなところを反映した曲となりました。私が歩んできた道のりというのは、懸命に戦って、働いて、足元をすくわれないようにと、後ろを振り返る訳には行かなかったのです。

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私の頭の中に入り込んで、私が今まで成し遂げてきたことを不可能だと思わせた人は大勢いました。 ひとつ、私は心に留めていることがあって、それは私があきらめかけた時にはいつだってまさにその翌日に(救いや解決的な知らせの)電話がかかってくるってことなんです!嘘じゃないの。電話の向こうに神様がいるわ、なんて感じなのです。

私には、ストレスからからくる疾患がありました。なので、より禅の状態にならなければいけなかった。つまり、冷静にしていて過剰反応しないことが必要だったのです。さらに私には自分の技術や気持ちや精神に対するパワーを持ち続けている、と知ることも。私は自分のキャリアの早い始まりに感謝しています。長きに渡ったこうした経験がなければ、きっと私は誰かと争ったり傷つけたりしていたかもしれません。本当にね!

世の中の何人かの人は、見境なくあなたをイラつかせるために色んなことをしようとします。私がしてることをやってみたいと思う人に、それは薔薇の花束のよう(に美しいだけ)じゃないと知って欲しいから、現実的なことをお話しますね。私からのさらなるヒントと励ましは、まず自分自身に敬意を払い、そしてそれから他の人たちに敬意を表すること。そして、いつだってあなたを待ってるものがあるのだから、心に「ノー」(限界や諦め)をもたらさないこと。さらに練習と準備。いついかなる時もプロであること。一貫性を保ち可能な限り最先端のアートの技術を学ぶこと。未来はそこにあるということだから。

Q.あなたの仕事の専門性というのは何なのですか?何をする人として知られているのでしょうか?あなたが誇りに思う仕事は何ですか?どんなところがほかの人と違うのでしょう?

 

私は色んなスキルや才能があるんです。私はエンターテインメントと舞台芸術を専門としていて、「インフルエンサー」でもある。そういう言葉があることを今はすごく気に入ってます。私には現実的なところもある。バランスのとれた人なんです。最近ではシンガーとしてやってるけれど、ナチュラル・ヘアスタイリスト、メイクアップ・アーティスト、ウイッグ・メイカー。組織のスペシャリスト、イノベーター、そしてヴィンテージ・ファッショニスタとしてのスキルを今も活用しています。私は想像力に満ちていて、そういうものをクリエイトできる自分の能力に感謝しているんです。そして最も誇りに思っていることは、自分の持久力とやり遂げたソロプロジェクト(アルバム)についてです。驚くべき量のフィードバックがありましたから。

私をほかの人から際立たせているのは、舞台芸術の細部に注意を払う能力だと思います。エンターテインメントっていうのは、ただステージの上で歌うだけじゃだめ。ライオネル・リッチー(シックと共にツアーを行った。「アメリカン・アイドル」の審査員も務めた)と食事を共にしたときにそのことについて確信したんです。彼は「アメリカン・アイドルの勝者を選ぶ時に、歌唱以上のものをパフォーマーから見出そうとしているんだと私に教えてくれたの。上手く歌える、ということだけじゃないから、その歌に衝撃を受け、胸に響くんだ、とね。でも私は自分の声でもっと多くのことが出来る、と思うのです。それは総合的なアプローチです。ショーのコンセプトやバックステージ、そして舞台で私が自分の声を使って経験してきた全てから言えることなんです。

Q.あなたが今いる業界において、あるいは一般的に、女性のリーダーシップにおける今日の最大の障壁はなんだと感じていますか?

現在、女性にとって最大の壁というのは、自分自身でしょうね。人生にはいい時もあるし、悪い時もある。その波に乗る必要があるんです。それは人生の教訓なのです。常に誰かが、あるいは何かが邪魔をしてくるんですから!常によ!でもそれは人生の一部。私たちは自然なものに対して尊敬の念を持ち、物事をそのまま受け入れ、立ち回りそしてやり抜くことが必要です。誰もあなたが獲得したものを奪うことはできないですよね。知識はパワーです。女性には何があっても突き進むという力が贈られているの。女性たちはコネクトすることを継続する必要があり、互いにサポートすべきだということを知る必要があります。私のキャリアの中で、最大に傷ついた出来事のいくつかは、女性によって巻き起こったことだったから。

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​情報元:Voyage ATL

​翻訳:Manami Tanaka

Folami New Solo Single - Four To The Floor

コネチカット州ニュータウン在住。
 1996年の “JT Super Producers 96 Nile Rodgers” での初来日以降、ロジャースと共に全ての来日公演に参加しているのは彼のみである。
 1989年にキーボードのプログラマーとして彼と関わり始め、数多くのレコーディングに “programming, keyboards, engineering” などの肩書きで彼の名が記されている。
ロック、ポップ、ソウル全般のフリークであり、特にプログレッシヴ・ロックへ深い愛情を注いでいる。エディ・ジョブソンと親しく、彼のアルバムに参加したり、ジョブソンがUKとして(シックと同時期に)来日していた時にはライヴに招待されたものの、見事にシックの公演と重なり涙を飲んだ事も。


 

Richard Hilton (keyboards, chorus )

photo by Hiro Nomura
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Russell Graham (keyboards, chorus, vocorder)

photo by Hiro Nomura

NY市在住。
 2015年がシックとしての初来日。前任のセラーンがレギュラー・メンバーだった時期からサブとして参加していたが、セラーンの脱退(ソロ活動優先のため)を機にレギュラーとなった。シックのステージでの「ゲット・ラッキー」演奏時には(ダフト・パンクのパートである)ヴォコーダーを操り脚光を浴びている。
 2015年のシックのシングル “I’ll Be There” では、キーボードだけでなくプログラミングやエンジニアリング等も担当、ヒルトンの後継としてロジャースを支えていくのは彼かもしれない。
 ハーヴァード大学卒で、何とパトリック “パックン” ハーランと学友!


 

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Dan Moretti (sax)

ロード・アイランド州ウェイクフィールド市在住。
 

 レギュラーメンバーであるホロマンの都合がつかない時に声が掛かるのがダン・モレーティ。といっても、彼もかれこれ十年以上シックには関わっている。来日は2011年の五月以来、2015年で二回目となった。
 

 2005年のアムステルダムでのライヴDVDに追加されているボーナス映像、アムステルダム以外の欧州公演を追うドキュメンタリーに彼は少しだけ登場している(アムステルダム公演のサックスはホロマン)。

 

photo by Mance Thompson
 
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Curt Ramm ( trumpet)

photo by Mance Thompson

 カンザス州出身、ロード・アイランド州ニューポート市在住。
 2003年の加入以降レギュラーの座を譲らないカートだが、来日メンバーに名を連ねるのは2010年以来だった。
 ラムはブルース・スプリングスティーンのバンド・メンバーでもある。彼の『シーガー・セッションズ』・バンドの(スタジオ盤ではなく)ライヴが最初(ライヴCD/DVDあり)。その後、Eストリート・バンドでのライヴにもホーン・セクションとして参加する様になり、世界中を回っている。2009年のスーパーボウル・ハーフ・タイム・ショウでも彼の姿を確認出来る。そちらでの来日も待たれるところだ。

 尚、モレーティとラムは独立したホーン・セクションとしても活動している。2015年の来日の際にファンから「ハンサム・ホーンズ」と命名され、今後はそう名乗ると言っていたのだが、果たしてその約束は守られるのか、それともリップ・サーヴィスだったのか?!

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Bill Holloman(sax)

オハイオ州出身

ナイルからは「ミスター・オハイオ」として紹介されている。

 

「JT Super Producers 96 Nile Rodgers」から残っている数少ないメンバーで、今もなおバンドのレギュラー・メンバーとして活動を続けている。

マルチミュージシャンでもあり、おしゃれフリーク・ギター・コンテストなど、彼がベースを弾く事もしばしばあるほどだ。

彼はスマップの大ヒットアルバム「ス」のナイル制作作品2曲にもサックスで参加している。

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bill

We're making it funky with Nile Rodgers and CHIC.

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