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マハフェイシアターで、ナイル・ロジャースはセント・ピーターズバーグのファン達を人生のサウンドトラックへのもてなし~私たちは伝説のディスコ・ソングの上でサヴァイヴする~

最終更新: 2019年3月14日



【2019年1月18日、ナイル・ロジャースとシックによる、フロリダ・セントピ-ターズバーグにあるマハフィー・シアターでのコンサート】

ナイル・ロジャースはいつもある条件のもとにコンサートを始める。金曜夜、一夜限りで行われたシックのショーの始まりも例外ではなかった。 「みんなには座席があるってことはわかってるんだ、でも僕らはダンス・ミュージックをやるんだよ」 66歳のロジャースはマハフィー・シアターの観客に向かって語る。「もし君がそうしなくちゃ、って思ったら立ち上がって踊ってくれよ、、、後ろの席の人への心配なんて無用だよ。彼らも立ち上がって踊らなくちゃって意味になるからね」

シューズによく合うエメラルドのスパンコールがほどこされたジャケットを身にまとったロジャースは、ショーが始まった瞬間、「エブリバディ・ダンス」で観客達をグルーヴの中へ閉じ込めた。そしてセント・ピーターズバーグのオーディエンスは2曲目の「ダンス・ダンス・ダンス」でそのダンスのリズムへ落ち着いたようだった。 (ロジャースの)象徴的なギター、ストラトキャスターが鳴る音と、シェール公演の開幕にアリーナで演奏されていたこのバンドのパワーは、サックス奏者のブランドン・ライトが次の曲「愛して欲しい」で彼の最初のソロパートを演奏した時にゆるぎないものとなった。

ロジャースが手掛けたことにより、クレジットされている膨大なソングリストから、わずかな曲だけ聴ければ構わないというファンは、週末に自宅で彼のアナログ・レコードと過ごした方がいいだろう。しかしヒット曲に次ぐヒット曲の演奏を期待する人たちは、がっかりしてそこを去るなんてことはあり得ない。何故ならこれは音楽史上最も象徴的な25曲からなる、100分のセットのショーなのだ。ダイアナ・ロスに提供した曲「アイム・カミング・アウト」で歌われた宣言(カミングアウト)の悦びは、リリースされてから39年経った今も続いている。「アップサイド・ダウン」やイントロのカッティングが特徴的なシスター・スレッジの曲「ヒーズ・ザ・グレイテスト・ダンサー」のメドレーでは間違いなくダンスする価値がある曲だ。

しかし、ボーカリストのキンバリー・デイビスが歌う「ウィー・アー・ファミリー」での長いソロパートに差しかかる頃には、その踊り疲れた足は止まり、多くの人は座席に着席していた(キンバリー・デイビスの友人でありシックの宣伝マンでもあるドラマー、ラルフ・ロールが、彼女がシックのオーディションを受けると確信する8年前まで、彼女はNY市のスーパーバイザーとして働いていた。訳注:すでにシックに参加していたラルフ・ロールが8年前にキンバリーをシックのオーディションへ誘った)。ほとんどのファンたちは、ホーン・セクションの演奏パートがないマドンナの1984年のヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」の間は座席で座って演奏を見ていた。ロジャースが彼の独特の奏法でシスター・スレッジのヒットソング「ロスト・イン・ミュージック」をパフォーマンスしている間は、彼らは落ち着いてパフォーマンスを楽しむことを選択したというわけだ。しかし、結局のところロジャースは、デュラン・デュランの曲で、ダンスフロアの宝石とも言うべき曲の「ノートリアス」をステージに投下した後、彼らを再び踊らせた。そしてこの日の会場、マハフィシアターはシスター・スレッジの「シンキング・オブ・ユー」、シックとの共作「マイ・フィート・キープ・ダンシング」が演奏される間はずっとそのまま踊り続けることになる。

「ゲット・ラッキー」を演奏する前に、ロジャースはステージ上である話を始めた。彼はかつて2010年に前立腺癌の診断を受けていたが(訳注:闘病生活を経て完治)、(再び)2017年、腎臓がんとの診断を受け、病状の見込みについて表情を厳しくしていた医師たちからメッセージを受け取っていたのだ。 「医師たちは僕に、残された人生についてよくよく考えるようにと言って来たんだ」ロジャースは不満げに説明してみせた。 「だから僕はこう答えた。僕は今までの人生でこれまで以上に多くの曲を書く。自分の人生でこれまで以上にライブショーをするつもりだし、人生の中でこれまで以上にアーティストとコラボレーションをしていくんだ、とね」

ショーの中では、こうして人生が人々を打ちのめすという事実を思い出させる瞬間がいくつかあった。そのせいで故デビッド・ボウイとの曲「レッツ・ダンス」の、あのディレイのリズムギターを生で聴くことが不気味な感じがしたりもした。そして、比較的健康な33歳の自分のような人にとって、音楽史上において素晴らしいディスコやファンクの曲のショーの間に人々が座っているのを見たことに、ほんの少し失望を感じてしまった。しかし普通の人たちの日々の戦いは、生きる実感が持てないと感じさせることもある。まるで働くことに忙しすぎて、ゆっくりと死んでゆく、そのために生きているように。 そしてそんな時のためにシックのカタログは存在する。ちょっとしたリフがいかに人生に革命を起こせるのか、喜びをもたらすようなちょっとした献身が絶望を感じているひとの人生を変えられるのか、ロジャースはそれを思い出させてくれるのだ。

「おしゃれフリーク」を演奏した後、ロジャースは観客に向かって、一人のファンがこのショーの直前のミート・アンド・グリートタイムの際に、シックの初期のシングル・レコードのオリジナル・コピーを持って来た話をした。ロジャースは(世界のセレブが集まっていたニューヨークの伝説的ディスコ)「スタジオ54」の名物エンジニアのトム・サーヴァスが、この曲のミックスに関わった人物としてリストに名を連ねていたという話を観客に向かってし始めた。実際には、当時シックは彼がミックスしたパートは採用しなかったが、ナイルたちはとにかくそのレコードにサーヴァスの名を残すことにしたというのだ。ラジオのDJ達が知名度のあるサーヴァスの名前を見て曲をかけることを知っていたからだ。 その作戦は上手く行った。そしてロジャースとソングライティングにおける彼のパートナー、故バーナード・エドワーズは『まさに文字通り』歴史の終わりまで踊り続けられる曲を書くという扉を開けたのだ。あのスタジオ54の熱狂的なファンたちが、「おしゃれフリーク」で踊りながら顔に汗を流している姿を想像できるだろう。ロジャースが彼独特の卓越した技で巧みにギターのフレットボードを使い演奏するのを見ると、彼がこうして人生を生き延びて来てくれたことや、彼が自身の悦びの拡散に献身的でいてくれることに感謝せざるを得ないのだ。

事実、金曜のこのショーのある時点ではほとんどのオーディエンスが座っていた。観客が大騒ぎする力がなかった瞬間も確かにあったということだ。おおよその人間たちは悲しむべきことに、生きることに必死で忙しすぎる。ナイル・ロジャースとシックに出会えた幸運に感謝しよう。ナイルたちと彼らがコラボしたミュージシャン達がいなければ、私たちのパーティというものはかなり違ったものになっていただろうし、つまならいものになっていただろう。

ロジャースは明らかに私たちの時代の最高な時のためにサウンドトラックを書き続けてきた。それらの曲たちはいやなことが起きている間じゅうも、私たちを救って来てくれた。そしてこのことは、疑いようもなく、立ち上がって踊る価値がナイルの音楽にはあるということなのだ。

【セットリスト】

Everybody Dance Dance, Dance, Dance — Yowsah, Yowsah, Yowsah I Want Your Love I’m Coming Out (Diana Ross)> Upside Down (Diana Ross)> He’s the Greatest Dancer (Sister Sledge) We Are Family (Sister Sledge) Like A Virgin (Madonna) Lost In Music (Sister Sledge) Notorious (Duran Duran) Thinking Of You (Sister Sledge) My Feet Keep Dancing Get Lucky (Daft Punk) Chic Cheer > My Forbidden Lover Let’s Dance (David Bowie) Le Freak Good Times

情報元:CL TAMPA BAY


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  We're making it funky with Nile Rodgers and CHIC.

 

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