
デビュー盤の時点で全て自作曲。シーク(シック)名義の楽曲は全てこの体制で作られている。時間や予算不足の為か録音はショボい(失礼)が、既に「シック・サウンド」の基本形は出来上がっている。特筆すべきはA③の完成度の高さだろう。
クレディット欄にはバンド・メンバーと他のミュージシャンが区別無く併記され、プロデューサー主体の匿名プロジェクトという「ふり」をしている。その意味ではバリー・ホワイト、ヴァン・マッコイの系譜上と言えるが、覆面性はキッスから、悪趣味寸前ともとれるデカダンなセンスはロクシー・ミュージックの影響である点が、大都会NY生まれでロック、ポップ・シーンにも関心があった彼等らしい所だ。メンバーとは無関係の女性二名が写るアルバム・カヴァーはロクシー「カントリー・ライフ」(1974)をヒントにしてしているので、興味のある方はお探しあれ。

現在も半数以上がライヴ・レパートリーとなっている重要作。シングルA2とB1で彼等を知った方は少なくないはず。ファンク/ディスコ・バンドの本物度を測る鍵の一つはスロウ・ナンバーがダサいかそうでないかにあると思うが(実はロックも)、A3やB2、前作のB3から判断するならば彼等は本物だ。
前作から打って変わってメンバー五名が顔を出すアルバム・カヴァーが示す様に「バンド」としての売り出しを始めた。更にインナー・スリーヴにはロジャーズ、エドワーズの写真が大きく配され、二人の双頭バンドである事も強調された(トンプスンが気の毒な程に)。また本作から自身のプロダクション“The CHIC Organization,Ltd.”のクレジットが登場、ビジネス面での地盤固めも行った。前作での様子見期間を経て、彼等もレコード会社も本気になったといえる。

「おしゃれフリーク」と並ぶ代表曲A1で幕を開けるサード・アルバムからは早くも風格が感じられる。現在のライヴで常に最後に演奏される事からロジャーズの思い入れの深さが伝わってくる。楽曲としての好みだけでなく、売り上げや知名度、ラップ/ヒップ・ホップに与えた影響も(冷静なプロデューサーとして)視野に入れた上で「最後に高らかに演奏する」という意図もあるのだろう。
プロデューサー/ソングライター/ミュージシャンとしてのクリエイティヴ・ピークを録音した楽曲の質と数で推し量るならば、シークのピークは79~80年だ。プロデュース作品も含めると、この時期に彼等が発表したアルバムは実に六枚、そのどれもが名曲揃いだ。別稿で触れるが演奏者だけでなく録音スタジオの環境(エンジニア、アナログ録音の機材やノウハウ)も充実していた。

出る杭は打たれる。ディスコ・サックス(ディスコなんてダッせぇ)運動が幅を利かせていた1979~80年当時、大ヒットを連発していたのががシークだった。悲しい哉、ヒット曲連発という状態は前作で終わってしまう。
しかしプロデューサー、プレイヤーとして関わったダイアナ・ロス『ダイアナ』は大ヒット。 同じプロダクションなのに 不幸にも『ダイアナ』の完成が遅れて立て続けに発売された事から本作は陰に隠れてしまった。バッシングの対象は音ではなく名前だという馬鹿馬鹿しさ。本作がシークの最高傑作だと思っている筆者はそう考え、負け惜しみを言いたいのだ。それ程、本作には最高の楽曲、最高のグルーヴ、コンビネイション、アルバムとしての高い完成度をたたえている。タイトル曲の「本当の仲間と生きていきたい」というメッセイジも力強い。

タイトル通り「脱ぎ捨てる」「離陸」と取るか、深読みをして「糸の切れた凧」と取るか。本作からいわゆる「ドンパン節」「パワステ・サウンド」等と通称されていく音処理(特にドラムズ)が始まった。そして何より、看板であった「シーク・ストリングズ」を一切使わなくなった。『ダイアナ』、デビー・ハリー『予感』等で感じた手応えから、彼等は良くも悪くもヒット製造マシーンとしてのプレッシャーから解放され、サウンド面での実験へと向かう。
全十曲、かなりすっきりとした作風なのでリズム・セクションとしての彼等を楽しめる。但しこれまでの「『ロジャーズ、エドワーズ』&トンプソン」から少しずつ「ロジャーズ&『エドワーズ、トンプソン』」と三人の関係が変化した事にも気付かされ、数年後の悲しい分裂を予感させる。

映画『スープ・フォー・ワン』サウンドトラック盤を挟み発表された本作は、何と言っても傑作A3を含む一枚として語るべきだろう。二部構成をとる彼等唯一の曲で、前半の抑制の効いたギターとベイス、じわじわと盛り上げていくピアノ、言葉の響きも内容も美しい歌詞、それらが後半の爆発するグルーヴへと雪崩れこむ快感は筆舌に尽くし難い。そして最高なのは前半の抑えたパートから既にドスンバタンとうるさいトンプソン! これはゼップのジョン・ボナムと共通する(又は影響下にある)もの。このロック魂こそ、シークを他のファンク/ソウル・バンドと比較した際の個性として特筆されるべき要素だ。
所で彼等のアルバムはA面のラストが重要曲である事が多い。その半数のリード・ヴォーカルはエドワーズだ。意識してみると興味深い発見があるだろう。

ロジャーズ、エドワーズ各々のソロ・アルバムとデイヴィッド・ボウイ『レッツ・ダンス』を挟み発表された最終作。アルバム・カヴァーは我が国の誇るイラストレイターで当時は米国在住だったペーター佐藤が担当。自身のソロ・アルバムで使用していた当時の最新鋭ドラム・マシーン(Lynn)を、事もあろうかロジャーズはシークにも持ち込む。これにはエドワーズも面食らった様だ。トンプソンは自分のパートを録音した直後にボウイの世界ツアーに同行、完成版は日本で耳にしたという。半数以上で自分のドラミングがフィーチュアされていない本作をどんな気持ちで聴いたのだろうか。
タイトル曲A1、トンプスンの切り込むドラム・フィルが活かされたA2等、聴き所は少なくないが「実験」の度合いが最も高いので好みは分かれるだろう。

袂を分かってから五年ほど経った89年秋、ロジャーズの誕生パーティの席上で打ち合わせ無しで行ったライヴ後に再結成を決意、数年を掛けて慎重に制作されたのが本作だ。参加ミュージシャンやスタッフ、録音スタジオ等をみるとロジャーズにエドワーズが合流した事が判る。二人以外の旧メンバーは不参加だが、あの音楽性は見事に甦っている。新メンバー(シンガー)はシルヴァー・ローガン・シャープとジェン・トマスで、シャープは2010年迄行動を共にしている。ドラマー(正規メンバーではない)はソニー・エモリー(EWF他)とスターリング・キャンベール(デュラン・デュラン他)。
以前と同じコンサート・マスターを起用してのストリングズ復活も嬉しいが、楽曲、演奏、歌の充実に録音が追いついていないのが残念(どうにも軽い)。

"CHIC" 発表後、ノーマ・ジーン(・ライト)がソロ・デビューする。彼女の門出を祝すかの様にロジャーズ&エドワーズがプロデューサーとして制作にあたった。当時の邦題は『噂のサタデイ・ガール/ノーマ・ジーン登場!!』
当然の様に "CHIC" との近似点が多く挙げられるが、より歌もの、よりディスコ・サウンドへと傾斜している。
二人のプロデュース作の中でカヴァー曲が含まれた唯一のアルバム(サム・クックのA2)。
「おしゃれフリーク」のPVに参加している痩せたキーボーディスト=レイモンド・ジョーンズは本作で合流。元々トンプスンの友人で当時はまだ十八~九歳。九十年代にはライトとState of Artとして活動した。
コンサート・マスター=ジーン・オーロフもこれが初参加作。ゴージャスかつスマートな “The CHIC Strings” 誕生の瞬間がこの盤に刻まれている。

外部プロデュースを軌道に乗せていくにあたり、ロジャーズ&エドワーズはアトランティックからの「アリーサ・フランクリンの様な大物を」という提案を断り、系列レーベルのコティリオン所属で伸び悩んでいた四姉妹を選んだ。三枚目にあたる本作は見事に大ヒット、彼女達を表舞台に引き上げた。邦題は『華麗な妖精たち』
シークも含むエドワーズと手掛けた諸作の中で、ロジャーズは本作をベストに挙げる事がある。現在のライヴで四曲取り上げている事からも彼の愛着が伝わってくる(名曲中の名曲A4はアメリカでは未シングル・カット曲)
多くの曲が当初シークの曲として録音されていたせいか、四人はリード・ヴォーカルのみを担当。中でも末妹キャシー(当時十八歳)が傑出している。タイトル曲B1は本国では誰もが知るアンセムとして学校行事や各種祭典でも歌われているそうだ。

シスター・スレッジと取り組んだ二枚目、邦題は『ときめき』。バック・コーラスも自身で担当した事から彼女達の色の強い一枚となった(A1のみシークのコーラス隊が参加)。
ロジャーズ&エドワーズは今作で四人を大人の女性へ脱皮させることに成功しており、バンドの演奏はますますタイトになった。A2のベイスのフレイズが歌の邪魔にならない事には驚きさえ感じる。ストリングズもピチカート奏法を使う等、ゴージャスさ=大人っぽさの演出に貢献。A3はタイトルに反し挑発的。B1は美しい言い回しだがかなり直接的な歌詞だ。B2はシンコペイションだらけの歌とひとパターン(2コード)の繰り返しだけのバンド・サウンド。緊張感だけで突っ走る
充実の79~80年産シーク印の楽曲群にあって特に傑出した楽曲が揃っているにもかかわらず、売り上げが前作に劣るため見過ごされがちな本作。どうか隠れ名盤として愛でて頂きたい。

プロデューサーとしてのロジャーズ&エドワーズ及び個性的なリズム・セクションとしてのシークが大きく注目されたのは本作からといえるだろう。
しかし、二人が提出したマスターに対し「ダイアナがシークのメンバーになったみたいだ」と感じたロス側のスタッフは、バックを控えめにリーミックスし、ラフさや緊張感を重視して敢えてテイクを重ねなかった歌も丁寧に歌い直させた。ミックスの最終的な決定権はロス側が持つ話になっていたのでやむを得なかったとはいえ、ロジャーズは自分達のプロデューサー・クレジットの削除を求める程に落胆したという。今世紀に入り商品化されたオリジナル・シーク・ミックスと聴き較べるとその無念さも理解出来よう。
以上の経緯もあってか本作の発売は遅れ、シークの新作 "Real People" と時期が重なった。そのせいで・・・(→Real Peopleの項参照)。

六十年代のフランスのアイドル歌手であったシェイラがディスコ時代に結成していたヴォーカル・グループのアルバム。彼女にソウルフルなヴォーカルをソウル/ファンクに求めるのはお門違いなので注意されたし。全体にロック色が強い(エイト・ビート多め)作品だ。
A1はフランスを中心に大ヒットしたので、欧州のシークのライヴでは現在でも大合唱となるそうだが、日本では披露された事は無い。A3はデビー・ハリー "Koo Koo" のプロトタイプともいえる格好良いロック・ナンバーで、ロジャーズとトンプスンが大活躍している。
79~80年に立て続けに発売された楽曲群の中で最後に発売されたアルバムであり、欧州をマーケットとして作られた事からか、The CHIC Organization, Ltd. による最後のディスコ然とした作品集となった。
男性B.ディヴォーション(男性三名)の歌は入っていない。

大ヒットを連発していたブロンディの歌姫デボラ・ハリーの初ソロ・アルバムを手掛けたのがロジャーズ&エドワーズだった。ブロンディのギターリストでハリーとは恋人関係にあったクリス・スタインも参加。 ロック・ミュージシャンとの初の本格的なタッグは、その後のシークの活動を考えるととても意義のあるものだ。それを考えると当時の邦題『予感』は言い得て妙。
シークからみればロックへの進出、ハリー&スタインからみればリズム・セクションを総取り替えしての実験的なファンク。
と言っても、両者は同じNYを拠点に先鋭的なダンス音楽を追求していた、しかも競演歴もあった間柄。共同作業は自然な流れだったと想像する。
ハリー&スタイン作や四人の共作も含む、これ迄の「自作曲を他者に歌わせる」というスタンスから一歩踏み出した、シーク初の本格的な「他者との共演」といえる意欲作だ。

The CHIC Organization, Ltd. のその他の作品をざっと御紹介。
79年末にノーマ・ジーンのシングル 'High Society/Hold Me Lonely Boy' を制作。"Risque" と "Love Somebody Today" の間の時期らしい充実の楽曲で、"Norma Jean" のCDボーナス・トラック等の形で入手可能。
82年の映画「スープ・フォー・ワン」の音楽を担当、サウンドトラック盤(写真)のA面とB3は新曲。A4はシークの重要な男声要員のソロ・デビュー作として準備されていた "Frostbite" からの先行曲だったがアルバムは未発表(未完成?)のままだ。
"Koo Koo" "Take It Off" と同時期に作られたアルバム、ジョニー・マスィース(Johnny Mathis)の "I Love My Lady" は完成したものの未発表。全八曲中の四曲が後年ボックス・セット等で世に出ている。いずれも名曲名演名唱なのでアルバムとしての発売が待たれる。

エドワーズ唯一のソロ・アルバムは、ニュー・ウェイヴに傾斜したロジャースのソロよりもソウル・ファンに好まれている作品だ。バンド・アンサンブルと都会的なファンクを重視した、つまりよりシック的な内容になっている。但し、アルバムを通して聴くには、彼のヴォーカルは弱いというのが正直な所(これはロジャースも同様)。A2とB1の女性ヴォーカルはジョセリン・ブラウン。ザ・ミラクルズのカヴァーであるB1はエドワーズとのデュエット。彼女の初期の仕事としても重要な一枚だ。
メイン・ドラマーはヨーギ・ホートンで、本作の端正な音作りは彼のドラミングに負う所が大きい。A1はドラム・マシーン。トンプソンはB3に参加、他の曲と較べると、「シックらしさ」に対する彼の貢献度の高さがよくわかる。A1&4のシンセサイザー・ベースも効果的。B1&2以外にロジャースが参加している。

The Power Station 33 1/3 [LP]
The Power Station CD [CD]
人気絶頂だったデュラン・デュランのジョン・テイラー(ba)とアンディ・テイラー(gu)が組んだ別プロジェクト。他のメンバーは二人の憧れの兄貴分、トンプソンとロバート・パーマー(vo)で、トンプソンがプロデューサーとしてエドワーズに声を掛けた。録音はシックが拠点としていたザ・パワー・ステイション・スタジオで、エンジニアもシックを手掛けていたジェイスン・コーサーロ。バンド名はそのスタジオ名から採られた。ドキュメンタリー映像作品もある。84年録音、翌年発売。
「パワステ・サウンド」「ドンパン節」といわれたトンプソンのドラミングとコーサーロのサウンド処理が話題になった一枚だが、他のメンバーの貢献もも素晴らしく(ベースは一部エドワーズが弾いている)、85年を代表する一枚となった。B3はジ・アイズレー・ブラザーズのカヴァーで、アンディとパーマーのデュエット。

当時ロジャースの新バンドとして騒がれたトリオ、アウトラウド。メンバーは、スティーヴ・ウィンウッド「ハイアー・ラヴ」やアル・ジャロウ「L・イズ・フォー・ラヴァー」等で顔を合わせていたフィリップ・セイス(キーボード)と、ロジャースのプロデュース作『ヒアズ・トゥ・フューチャー・デイズ(トンプソン・ツインズ)』に伴うツアー(含来日)に参加したフェリシア・コリンズ(ギター&ヴォーカル)。ドラムズは全てプログラミング。ライヴも打ち込みドラムで行った事が話題となった。
セイスの特徴的なシンセサイザー・サウンドとプログラミングを根幹として、そこにロジャースとコリンズのギターと歌が重なるというのが基本的な構造。よってセイスの系譜でみた方が音楽的には腑に落ちる一枚だろう。かなりアヴレッシヴなシンセ・ファンクだ。B4はスライ&ザ・ファミリー・ストーン作品とのメドレー。

単独プロデューサーとしてのロジャースの名を広めたアルバム。大ヒットしたが(だからこそ)、ボウイ史でみると賛否両論の問題作だった。奇妙な格好をした誇大妄想狂的なカルト・ヒーローが、お洒落なスーツに身を包み健康的に微笑むスターになったからだ。「時代に迎合してしまった」「いや、彼はいつもそうやって我々を裏切ってきたではないか」と論争になったものだ。
75年の『ヤング・アメリカンズ』(ルーサー・ヴァンドロスを起用)で試したファンク・アプローチの83年版といえるもので、ロジャースのリズム・ギターやトンプソン&オマー・ハキムのドラムズが気持ち良い。エドワーズがA4に参加、シックのリズム隊三人が揃っている。本作の直後にダブル・トラブル名義でのデビュー作を出したスティーヴィー・レイ・ヴォーンのリード・ギターも話題に。

ロジャースのプロデュース作品の中で最も商業的に成功した一枚。大ヒット作ばかりの彼女にとっても代表作といえるセカンド・アルバムだ。当時最新の音楽だが、例えばタイトル曲A3のリズム・パターンが六十年代のR&B風であったり、A5がローズ・ロイスのカヴァーである等、ポップ/ダンス音楽の流れを汲んでいる。四曲にエドワーズとトンプソンが参加、息の合い方は流石のひとこと。クールなマシーン・ビートにロジャースのギターが効果的に絡むA2も傑作。
スタジオはパワー・ステーション、エンジニアはジェイスン・コーサーロ。同年末、この「トンプソン、パワー・ステーション、コーサーロ」の組み合わせは、今度はエドワーズがプロデューサーとなり、『ザ・パワー・ステーション33 1/3』で強烈なドラミングを生んだが、その「音」は本作で既に鳴っている。

「ナイル・ロジャース名義のコンサートにおけるハウス・バンド」という変則的な形ではあるが、CD/DVDもシック名義で出ているので、これをシックの初来日公演として問題無いだろう。1996年4月16日、ツアー最終日だった日本武道館、バーナード・エドワーズ最後の演奏を収めたライヴ盤だ。
この日のエドワーズの体調は最悪といえた。CDブックレットでも彼の演奏はベストではなかった旨をロジャースが明記しているが、それでも彼のベース・プレイは光っている。スティーヴ・ウィンウッド、シスター・スレッジ、スラッシュの客演からは祝祭らしさが伝わってくる。日本盤CDにはサイモン・ル・ボンを迎えた「ノトーリアス」も追加収録。
尚、ライヴ冒頭のタイトル・コールはクリス・ペプラーによるもの(録音)。
(タイトル色いろ)
Live at the Budokan
Live at the Budokan 1996
Live in Japan
Le Freak
etc.

Organization (Nile Rodgers Presents) 4CD Box Set
シスター・スレッジ、ダイアナ・ロス等のプロデュ―ス作品、12インチ・ヴァージョン、リズム・トラック録りの模様、新規リミックスそしてシックやジョニー・マティス等の未発表曲を含む充実の四枚組。音質の向上も目を見張るほど。
アルバム七枚(再結成盤を除く)のうちの半数がヒット・アルバムとは言い難かったからだろうか、アメリカ本国では、シックはボックス・セットはおろか、オリジナル・アルバムのちゃんとしたリマスタリングさえ行われていない(2015年現在)。そんな中、ようやくボックス・セットが出たのは2010年の事。しかしフランス盤のみというのが、残念なことではあるがアメリカでのシックの冷遇さを物語っている。日本ではフランス盤に解説ブックレット(ロジャースのライナー・ノートの日本語訳も含む)を付した輸入国内盤が出た。

Everybody Dance! (2011)
2011年の四月は、エドワーズが東京で没してから十五年という節目であった。来日公演も予定していたロジャースは、それを記念して日本のみで発売する編集盤を提案し、日本側スタッフとアイディアを出し合って作られたのがこの二枚組だ。
一枚目にはシックの主要曲を年代順に収録。アメリカでのシングル曲は全て収録されている。二枚目はロジャース&エドワーズ及びロジャースがプロデュースしたヒット曲の数々をランダムに。なんと豪華な顔触れだろう。こうして聴くと八十年代最高のヒット・プロデューサーは、ロジャースなのだと痛感する。
最後の「アイ・ウォナ・ダンス」は新曲。世界中でこのアルバムにしか収録されていない! クール&ザ・ギャングとシック、それぞれの2010年当時のメンバーが共演している。この一曲目当てで購入する価値は充分にある。
DISTANCE

『バーグラー』サウンドトラック盤に続いて発表されたデビュー・アルバム。
メンバーはトンプソン、トンプソン他、85年以降の彼の持ち駒といえるエディ・マーティネス(gu、エドワーズ初の単独プロデュース作は彼のソロ・アルバムだった[E.P.M.名義])、ジェフ・ボーヴァ(key、元チェインジ)からなるリズム・セクションにロバート・ハートを加えた五人。ハートは後にバッド・カンパニーに加入する事になる王道のブリティッシュ・ブルーズ・ロック・シンガー。彼の持ち味を引き立てる為か、ブラック・ロック/ファンク色を抑え、当時のホワイトスネイク辺りを彷彿とさせる派手なサウンド・プロダクションの(少し恥ずかしい)ロックを展開した。
良質なロックだが音楽的に手堅過ぎるきらいがあったのだろうか、商業的には失敗作となり、ハート以外の四人が顔を揃える機会が減っていったのが残念。
Mt. Fuji Jazz Festival

四月のブルーノート公演から僅か四ヶ月後、八月二十四日に富士スピードウェイで行われた「マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル2003」で彼らを観たファンからは大絶賛の声を多く耳にする。この時の模様は外国盤で何度か作品化されている(CD/DVDとも全編収録)。この年から五年間続くレギュラー十名のうち九名が参加。サックスのクリスピン・シーオ(アップタウン・ホーンズ)は、シックの来日メンバーとしてはこの時のみの帯同。
このライヴで面白い(というのも申し訳無いが)のは何と言っても冒頭のオープニング効果音からバンド演奏に入る部分。現地スタッフとの打ち合わせが不充分だったらしく大失敗! しかし彼らはそのトラブルを笑い飛ばし、はじけた演奏を披露していく。夏の屋外によく合った開放感に満ちた演奏だ。
Adventures in the Land

83年初旬="Tongue in Chic" と "Believer" の間に、ロジャースとエドワーズはソロ・アルバムを発表する。どちらも自身の単独プロデューサー名義となる初の作品で、シックの音楽的な幅の広さを示す両極端な内容で興味深い。
ロジャースは当時の最新機材であったドラム・マシーンを駆使し、良い意味で隙間のある実験的なニュー・ウェイヴ・ファンクを指向した。無機質な音なのにリズム・ギターが重なると、それで彼の世界となるのは流石。とはいえエドワーズ&トンプソンが参加したA3、B2、B3の気持ち良さは格別で、どうしても愛着はこちらにわいてしまう。B2は "Koo Koo" の延長といえるロックで、レッド・ツェッペリンの「ザ・クランジ」辺りを思い出させる(裏を返せばゼップのファンク・ロック・バンドとしての優秀さの証明でもある)。B3はサラ・ダッシュ(元ラベル)とのデュエット。
B-Movie Matinee

ロジャースが多忙を極めていた85年に、自称ワーカホリックを駄目押しするかの様に発表されたセカンド・ソロ・アルバム。エドワーズ、トンプソンは引き続きザ・パワー・ステイションでコーサーロと仕事を続けていくのに対し、ロジャースはこの時期を最後に同所を離れ、以降の拠点をスカイライン・スタジオに移す。音楽、人脈そして活動拠点から、シックはロジャースが離れる形で解散した事がわかる。おそらく本作はそんな過渡期、新しいスタッフと共に色々と実験をしていった記録であり、同時期のジェフ・ベック "Flash"、シスター・スレッジ "When the Boys Meet the Girls"、シーナ・イーストン "Do You" 等との共通項が窺える。
・・・等と真面目くさって書いてしまったが、日本人としては、本作はB1の日本語ラップとロジャースの「なんでぇすか?」を聴いて脱力する為の一枚(笑)。
Chic Freak and More Treats

"JT Super Producers 96 Nile Rodgers" の為に録音されたセルフ・リメイク・アルバム。エドワーズやオマー・ハキム、リチャード・ヒルトンが演奏している。新曲6、10、12、13はCDミニ・アルバムとしても発売された。JT・・・に際して選曲・録音されたにも関わらず、1、5と10は披露されず(特に10はかなり残念)またこれら新アレンジでの演奏はされなかった(少しホッ)。
当時のシックのリード・シンガーであったシャープが半数以上の曲でリード・ヴォーカルを担当、また当時のロジャースの側近で来日公演にも参加したクリストファー・マックスも3、10と13で歌っている。テーマ曲6では公演参加が発表されていたサイモン・ル・ボン、クロウル・シスターズの歌声が聴ける。5のアシュフォード&シンプソンや7のタジャ・セヴェールは公演には不参加(予定されていたのだろうか?)。
LIVING IN FEAR

結果的に本作がエドワーズの遺作となってしまったが、仕上げてくれた事を喜ぶべきだろう。ディスタンスから七年振りにフルで組んだエドワーズ&トンプソンの、これが双方にとって最後のスタジオ盤となったのだから。96年秋に発売。
85年(録音は前年)当時の4人とプロデューサーのエドワーズが揃い94年に動きだしていた再結成プロジェクトだったが、録音前にジョン・テイラーが脱退、その穴をエドワーズが埋める形で完成をみた。ドンパン節ともいわれた例の派手なドラム・サウンドは凄みと重みのあるものへと進化。シック 'My Feet Keep Dancing' の間奏を思い出させる1からもうエドワーズとの息の合い方は完璧だ。アンディ・テイラーのロック・ギターは大活躍。前回は「付き合っている」という感じだったパーマーの色は今回かなり濃い。
カヴァーはマーヴィン・ゲイ4とザ・ビートルズ11。7や9はゼップを彷彿とさせる。
Crown Of Thorns

トンプソンの長年の夢といえた本格的なハード・ロック・バンドがクラウン・オブ・ソーンズだ。メンバーは、「有色人種」という足枷からロックしきれずにくすぶっていた四人=ジーン・ボヴワー(vo、元ザ・プラズマティクス、リトル・スティーヴン&ザ・ディサイプルズ・オブ・ソウル他)、ミッキー・フリー(gu、元シャラマー[後期])、マイケル・ペイジ(ba)そしてトンプソン。キッスへの楽曲提供経験もあるボヴワーの色が濃い。そのキッスのポール・スタンリーと歌い回しがかなり似ており、当のスタンリーは約半数の曲にプロデューサーとして関わってもいる。
クリームやゼップでスティックを握ったトンプソンらしい、力強いビートが心地良い好盤だったが、本作(発売先探しに数年を要していた)の発売と前後して録音が開始されたザ・パワー・ステイションとの活動を優先し、脱退してしまう。

2005年のアムステルダム公演はDVD、DVD&CD、CD二枚組等の形で何度か商品化されている。七月十七日、Paradisoで収録。ベースがバリー・ジョンスン(2007年の来日公演に参加)である以外は当時のレギュラー・メンバー。コーラスの男性=フォーンズィー・ソーントンは "Risque" への参加以降、'You Can't Do It Alone'("Real People" 収録)のリード・ヴォーカルを担当する等、初期シックを支えた重要人物。同公演を含む欧州ツアーを追ったボーナス映像も楽しい(ジェリー・バーンズの姿も確認できる)。
尚、"Mt.Fuji..." と本作は、おそらくモニター映写用又は地元TV局用の素材の流用で、ロジャースも発売を後に知ったというシロモノ。よって「動く彼等を楽しむもので、ミックスや音質はそれなり」という前提で御購入を。
https://www.discogs.com/ja/Chic-A-Night-In-Amsterdam/release/2343276
(タイトル色いろ)
A Night in Amsterdam
Le Freak: Live
おしゃれフリーク ライヴ
Live in Paradiso Amsterdam 2005
Greatest Hits-Live in Concert in Amsterdam
etc.

2004年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴは翌年にDVD化されている。前年に固定化された当時のレギュラー全員が揃っているので、安定したパフォーマンスを楽しめる。長身・赤毛でセクシーなシャープ、キュートなワグナー、ワイルドなミッチェルという3人の女性によるヴィジュアルとコーラス両面での華やかさはこの時期ならではの魅力だ。ジェラード・ヴェレースのパーカッション&ダンス(!)も見どころのひとつ。
同年、同フェス内で行われた、サンタナ・バンドを中心とした豪華なスペシャル・セッション "Hymns for Peace"(ウェイン・ショーター、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョン・マクラフリン他)にもロジャース、ハキムを含むシックの5人が参加しており、こちらもDVD化されている。
https://www.discogs.com/ja/Nile-Rodgers-Chic-Live-At-Montreux-2004/release/921134

エドワーズ、トンプソンを擁し89年にアルバム・デビューするディスタンスはその数年前から活動している。ウーピー・ゴールドバーグが主演した87年のコメディ映画のサウンドトラック盤は、その大半が彼らの作曲・演奏なので、変則的なデビュー・アルバムといえるだろう。プロデューサーはエドワーズ。ザ(が付いている)・ディスタンス名義の曲はアルバムに2曲、シングルB面にもう1曲収録されており、映画にもクラブ・バンドとして出演している。デビュー・アルバムと比べるとファンク色が強いので、こちらの方がザ・パワー・ステイション、ロバート・パーマー、ジョディ・ワトリー等と同列で楽しめる。
因みにスライ・ストーンのA1を目当てに探している方も少なくないだろうが、残念ながら「手に入れた」という以上の満足感は得られない出来だ。